ポストさんてん日記

放射線・エネルギー・環境・化学物質・食品などの情報をアーカイブとして整理すると同時に、徒然につぶやいています。 リンクはご自由に。

水俣病の被害者認定の歴史ほかメモ

[ 2014/05/07 (水) ]
今更ながらですが、表記についてメモします。

被害者認定の歴史

NHK時論公論 2013/4/17 問い直される責任 水俣病最高裁判決 がコンパクトにまとまっていたので、基本事項のみを時系列的に引用しました。

水俣病の歴史は、患者の認定を巡って紛争が起きるたびに、国が解決策を打ち出し、また紛争が起きるという繰り返しでした。その根底には、患者かどうかを決める行政審査に対する、被害者側の不満があります。

1956年:水俣病が公式確認

1968年:公害認定

1974年:国が決めた「認定基準」をもとに、行政が審査して患者と認定された人に、原因企業が補償する仕組みができ、本格的な補償スタート。

1977年:新たな認定基準を出します。ところがその基準を満たせずに、認定から漏れる人が相次ぎ、救済を求める裁判が各地で起こります。

1995年:第1の政治決着
政府は混乱を収めようと、認定されなかった被害者に、一定の症状があれば一時金などを支払う「政治決着」。未認定被害者らは、調停を受け入れ、訴訟の大半が取り下げられた。

2004年:最高裁判所が国などの責任を認めたことをきっかけに、再び救済を求める裁判などが相次いだ。

2009年:第2の政治決着
水俣病被害者救済特別措置法で未認定患者を救済する仕組みを作った。患者として認定されなかった被害者に一時金などを支払う新たな救済策を示し、そのための手続きが現在も進められています。

水俣病被害者の救済02

国は患者被害者をわけてきました。患者と認定する国の基準は、代表的な症状とされる手足の感覚障害や運動失調といった複数の症状の組み合わせが、ある場合です。組み合わせがなくても「総合的に検討する」としていますが、ほとんど認められたケースがありません。感覚障害だけの人は、患者ではなく被害者とされてきたのです。症状があるのになぜ患者と認めないのか。水俣病でなければ何の病気なのか。そうした思いで、被害者は、これまで戦い続けてきました。
 
2013年4月:最高裁判決
手足の感覚障害だけで水俣病と認めた画期的な最高裁判決、大きく二つの意味がある。
ひとつは、行政審査で認められない場合でも、裁判を起こせば、水俣病と認定される道が広がる可能性が出てきたこと。
もうひとつは、これまでの行政の患者認定の在り方が硬直的だったのではないかと厳しく問われたことです。そのために、これまで、本来認定されるべき被害者が切り捨てられてきた可能性もあるということです。
しかし、裁判で認定される道が広がったといっても、被害者が裁判を起こすのは大きな負担です。そうなる前に、行政自ら、認定の在り方をより柔軟に改めていくことが強く求められると思います。認定制度は患者切り捨てのためではなかったはずです。その原点を思い起こす必要があります。


2014/3/31 日経
熊本地裁(片山昭人裁判長)は3人を水俣病と認め、計1億1160万円の賠償を命じた。5人の請求は棄却
重症で介護が必要な男性1人に請求通り1億500万円の賠償を命令。原告弁護団によると、水俣病を巡る訴訟では過去最高額。残り2人には220万円と440万円の賠償を認めた。弁護団は約1億円の賠償が認められた男性を除く7人について控訴する方針

メモのメモ

水俣病については、原因究明の経緯疫学調査が行われていないこと、などについて多くの教訓があるようです。基本的なことのみメモします。

公害の原点

水俣病はなぜ公害の原点と言われるのでしょうか。世界で公害はたくさんありますが、産業による環境汚染が起こり食物連鎖を通して公害病が発生した例は、水俣が初めてだったのです。(原田正純氏の講義

原因究明の経緯

伝染病と考えられた→ やがて工場排水からのマンガンが疑われる→ つぎはセレン、さらにタリウム→ 最後にメチル水銀に到達

疫学的調査

新潟では、疫学調査により水俣病像をつくっていった。汚染されたと思われる人たちを母集団ととらえ、継続的に調査することにより、最終的に水俣病という病像を作っていったのです。ところが熊本では最初から判断条件を作り、その条件にあうものを水俣病とした。これら2つは、全然意味が違います。
母集団20万人を調べなくてはならないのに、今日まで行政はその調査をやっていません。(原田正純氏の講義

1965年(昭和40):新潟水俣病の発見
椿忠雄氏(新潟大学)は、阿賀野川流域のメチル水銀曝露を受けた住民の大規模な疫学調査を初めて行った。これはメチル水銀中毒に関する初めてのまとまった疫学調査である。
1974年~1979年:水俣での最初の疫学調査
藤野糺医師が、桂島(水俣市から南西に12km離れた離島)の住民と、鹿児島県奄美諸島の住民と比較する疫学調査を行った。

【メモ】
小児性・胎児性水俣病に関する臨床疫学的研究 2009年1月 原田正純・田尻雅美

おまけ

Togetterまとめ 「歴史から学ぶ」こととは:ハンセン病、水俣病、そして福島原発事故 by parasite2006さん

『水俣市からの緊急メッセージ 』2011年4月26日の動画と書き起し。
「秋桜の日記~福島県民200万分の1の声~」より
[ 2014/05/07(水) ] カテゴリ: その他の環境関連 | CM(0)
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