ポストさんてん日記

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チェルノブイリの汚染区域(区域規制基準)、移住、除染など

[ 2012/09/04 (火) ]
 チェルノブイリの汚染区域(区域規制基準)などについては、いくつかのエントリーに記載してますが、新たに中西準子さんの報告(下記の資料ナ1)からの情報を追記して、纏め直しておきます。

 出典は以下の資料です。

 ●資料01: (JRIA翻訳版)「ICRP Publication 111 原子力事故又は放射線緊急事態後における長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用
 ●資料02:「アゴラGEPR」2012/1/25チェルノブイリ、ロシア政府最新報告書(2011年)の紹介—社会混乱への警戒が必要

今中哲二 京大准教授の文献】
 ●資料イ1ベラルーシにおける法的取り組みと影響研究の概要
 ●資料イ2チェルノブイリ原発事故から11年
 ●資料イ3チェルノブイリ20年:事故の経過、汚染、被曝、影響(今中哲二)

【産業技術総合研究所 中西準子さんの報告】
 ●資料ナ1:雑感605-2012.8.28 「チェルノブイリ訪問(3)-移住か除染か-」および
雑感606-2012.9.3 「チェルノブイリの移住基準は、外部被ばく線量5 mSv/年ではない -チェルノブイリ訪問(4)-」

ベラルーシの区域規制基準、移住、除染など

区域規制基準

 1991年11月12日に採択されたベラルーシの法律が出典。

【日本と比較する時の注意】
 事故発生1986年4月26日から約5.5年後である。(下表の数値も1989年頃の計測値?)
 セシウム134は含まれていない。
 この2点の要素だけを計算しても、当初のセシウム濃度は、下表の約1.4倍になる。

表A・1 1991年にベラルーシで採用された区域規制基準資料01)を加工。
土壌汚染密度個人線量
mSv/年
*1
 Cs137
kBq/m2
Sr90
kBq/m2
 Pu
kBq/m2
定期放射線モニタリング
実施区域
37~185..1 未満
再定住権利を有する区域185~55518.5~740.37~1.851~5
二次再定住対象区域
*3
555~148074~1111.85~3.75 以上*1
優先再定住対象区域1480以上 111以上3.7以上.
退去対象(立入禁止)
区域
1986年に住民が避難したチェルノブイリ原発に
隣接する30km圏。*2
放射線の単位は、ベラルーシ原文ではキューリーCi。換算が必要な場合は1Ci/km2=3700Bq/m2

 *1 (資料ナ1
 多くの日本人の書き手の方が、“チェルノブイリでは、5 mSv/年を強制移住基準にしている、日本が20 mSv/年にしているが、これはチェルノブイリより高い、日本の基準はチェルノブイリに比べて高すぎる”と日本政府の方針を批判している。しかし、これは間違いである。
 年間平均被ばく量(表の個人線量)は、ミルクとジャガイモに代表される食物による内部被ばく量と外部被ばく量の合計である。いずれもカタログ値(代表的な値を取り出して区分)であって、本当の意味の被ばく量や土壌中Csによる放射線量を表していない。

(Sr-90とPu-238、-239、-240*による内部被ばくは、この内部被ばく量の計算には参入されていないようだ。また、ミルクとジャガイモ以外の食品が全く考慮されていないのか、この2食品から他の食品の分も推定できるのかはっきりしないが、ミルクとジャガイモのCs-137の値から、他の食物についても推定した値だと思われる。この部分は、いくつかの資料を見ているが、どうもはっきりしないので、直接ウクライナの研究所に問い合わせている。 
 * これらの放出量は●福島とチェルノブイリの大気放出量の比較、被ばく量の現状ほか を参照。)

 この5 mSv/年を日本での遮蔽率とCs-134との合計で計算すると、14.8 mSv/年の外部被ばくに相当するのである。(表の土壌濃度数値が事故直後のものであると考えて計算したが、本件についてもウクライナの研究所に問い合わせている。)

 *2 
 (資料イ2,イ3)事故1日後に(原発から3kmに位置する)プリピャチ市の市民(約4万4000人)が避難、プリピャチ市以外の30km圏の周辺住民の避難が決定されたのは、事故6日後の5/2であった。周辺30km圏から13万5000人の住民避難が5/3から始まり、ほぼ1週間かけて避難が完了。

 (資料ナ1)事故後2週間以内(5月)の退去と9月の退去があった。退去者の総数は11万4,511人。その内訳は、ベラルーシ2万4,725人、ウクライナ8万9,600人、ロシア186人である。この人たちが、evacueeと言われ、様々な補償を受けている。
(9月の退去は、30km圏外の優先再定住対象区域だが、土壌濃度が非常に高かった区域からの立ち退きであった)

 (資料ナ1)ベラルーシでは、これまでに、13万7,700人が居住区単位で移住し、20万人が個別に移住したと報告している。
 evacueesが2万4,725人、この内1万3,367人は、優先再定住対象区域の居住者である。
 二次再定住対象区域は8万5,000人、再定住権利を有する区域は23万人になるが、その内から11万2,975人が集団で、20万人が個人で移住したということである。二次再定住対象区域で何人が残っているかについて、何回か聞いたが、分からなかった。感触としては、二次再定住対象区域の殆どが移住しているのではなかろうか。
(ウクライナの情報もあるが引用は割愛)

 *3 (資料ナ1
 L.Likhtarev and L.Kovganは、「政府がきれいな区域に移住を希望する人にその機会を与えるということである。所謂「強制移住」という条項はない」と書いている。

上記の法律の考え方資料イ1

1990年12月19日、ベラルーシ科学アカデミー幹部会が下記のような概念を採択し、上記の法律制定にむけての基礎となった。
 ●容認できる被曝量限度
 人々が生活・労働する環境において年間1mSvを越えない被曝。この被曝限度を目標に、段階的に以下のような限度を設定する。
1991年は年5 mSv、1993年に年3 mSv、1995年に年2 mSv、1998年に年1 mSv
(ちなみに旧ソ連時代に緊急措置として設定された被曝限度は、事故の1年目100 mSv、1987年50mSv、1988年30 mSv、1989年30 mSv、1990年5 mSv)
 ●ベラルーシ市民に対して
 地域の土壌汚染・食品汚染・放射能対策に関する完全で、適切な情報を得る権利を保証している。しかるべき特典を定めている。
 具体的には、医者の処方に基づく薬の無料入手、家賃の50%割引、暖房・水道・ガス・電気代の50%割引、所得税の免除、休暇の割増など。また、被災者には、普通より早く年金生活に入る権利がある。

ベラルーシ政府が行なってきた活動など(出典記載がない部分は資料イ1

 ●第1段階(1986年4~6月)では、
 (前略)この段階でのもっとも大きな誤りは、放射能の危険について人々に知らせなかったことである。(後略)

 ●第2段階(1986年6~12月)においては、
 (前略)25以上の政令や布告が制定された。その内容は主として1480kBq/m2以上の汚染地域に住んでいる人々への経済的支援と特典に関するものであった。(中略)当時、“クリーン”な農産物の生産についての勧告は十分ではなかった。1986年の生産物は30kmゾーンを除いて、すべて消費のためにまわされた。この段階では、本来は移住が必要だったにもかかわらず、経済的な支援策によって人々が土地を離れるのを防ぐという、間違った対策が実施された。

 ●第3段階(1987-1988年)を特徴づけることは,社会・経済的および政治的な不安定状態である。
 汚染地域では不必要な農産物が生産された。低線量被曝にともない疾病が増加した。(中略)555kBq/m2以上の汚染地域で、ガス暖房のパイプ、学校、病院が建設された。後にそれらの地域は厳しい放射能管理下におかれ、すべての社会・経済活動が停止することになる。

 ●第4段階(1989年)になると
 チェルノブイリ事故に関するさまざまな問題は、総合的で明確な計画なしには解決できないことが明らかになった。そのような計画が立案され採択されたものの、いろいろな意味で遅かった。計画の内容を実施するために必要な資材がなかった。5カ年計画という発想もすでに時代遅れであったし、問題を解決するのに5年もかかるというのでは人々の支持を得られなかった。

1989年7月、ベラルーシ共和国議会は、汚染地域から新たに11万人を移住させる決定を行った。555kBq/m2以上を移住の基準としたのであった。(資料イ2
 (実際に移住した人数については、記載がない)

1989年に汚染データが公表されてから、移住政策が積極的に進められることになった。1991年12月11日に採択された法律によるのだが、現実には1989年から積極的に移住政策が進められることになった。(資料ナ1

 ●第5段階(1990年以降)では、
 政令や布告による方法から、法律に基づく施策へと大きな方向転換があった。(中略)政府の活動は、以下のように、事故影響低減に関連するすべての問題におよんでいる。
   最も汚染された地域からの住民の移住
   被災者への医療援助
   移住者用の住宅建設と職場の提供
   放射能管理システムの整備
   最汚染地域の隔離
   汚染地域の居住区でのエコロジー・衛生計画
   事故影響に関する科学的研究の組織化、等々である.

(ソ連崩壊は1991年12月25日)

(以下は資料02
 事故処理にあたった最初の数年において見込み違いだったのは、以下のことである。

 原発敷地内および周辺30km圏内の一連の事故処理対策の実施において必ずしもしっかりとした裏づけのある課題がたてられなかったこと、

 1988年以降に人々の大規模な移住プログラムが実施されたこと。

 さらに、何年にもわたってチェルノブイリ原発事故が及ぼす社会的・経済的および精神的な影響を何倍も大きくさせてしまったのは、基準値として、セシウム137の汚染度が37kBq/m2以上の区域をチェルノブイリ汚染区域とすることを承認した、1990年代に採択された法律によるところが大きい。
実際問題として、住民への追加的な放射能影響のレベルが自然放射線量のレベルよりも低い地域が法的に被災地に含まれることになってしまった。

 当時進行していた社会・経済状況の流れの中で、チェルノブイリの問題は住民の放射線防護の問題という局面から政治的な局面に移行した。
汚染地域の社会・経済状況は、被ばくとその健康への影響度という点についての住民の独特な受け止めかたや不十分な立法政策と情報政策のせいで心理的に複雑な状況になったことで、困難なものになってしまった。

 放射能汚染地域における社会的緊張の緩和は、放射能事故の影響・後遺症の克服、住民の生活面での安全文化の形成、情報への自由なアクセスの保障、放射能に関する住民の知識水準の向上に関わる包括的な情報対策によって行われなければいけなかったのは明らかである。

除染に関すること資料ナ1

 強制立ち退き後、その地域の清掃(埋設など)が行われた。それに続いて、1986年~1989年まで、ソ連邦の下で汚染地域(住民が住んでいる地域)で除染作業が精力的に行われた。まずは、工業地帯と居住地域の除染が行われた。
30km圏外の汚染の状況は段々明らかになってくるが、その情報は1989年2月まで隠された

 汚染の噂を聞いて逃げ出す住民も増えてきたこともあり、除染には、その人たちの自発的移住を止めるという目的もあった。除染は、主として軍隊によって行われたが、極めて費用対効果が悪かった。資金は人件費に消えてしまった、除染は汚染地域に住む人の精神的な負担を減らすためのものだったとウクライナの学者・行政官は再三言った(Dmytro Bobro,ウクライナ立入禁止区域管理局)。

 農地の除染は行われなかった。農業対策として、石灰や肥料の投入、作物転換が行われたが、農地の土壌を剥ぐような除染は実施されていない。

 今回話を聞いたウクライナの学者は、農地は3年くらい放置した方がいい。そうすれば、自然に放射線量も下がるし、また、土から植物への移行係数も低くなると主張していた(Borys Prister、国立戦略研究所)。この間除染が実施された居住区の数は、ロシア472、ウクライナ560、ベラルーシ500であった。

 その後、ソ連邦が崩壊し、ベラルーシとウクライナが独自の対策を取らねばならなくなり、特にウクライナでは、経済的な理由で除染はほぼ行われなくなる。ウクライナでは、ソ連時代に460のsettlement(居住区)で除染が行われたが、独立後は40居住区しか行われなかった。

 ウクライナでは、1991~95年には80万ユーロ/年(約1億2千万円)、96~97年には、40万ユーロ/年が除染に使われた。除染によって、被ばく量は1/3位にはなったが、それ以上は減らなかった。1人・Sv削減のための費用が1万ユーロを超え、一人当たりのGDPをはるかに超えた。この時点で除染はやめにした(Tabachny)。

 つまり、除染政策は被ばく量を減らすことができなかったこと、個人で移住する(逃げ出す)人が増えたこと、資金的に行き詰まったことで破綻した。

 1989年には、ソ連政府の調査によっても、除染が人々の被ばく量を減らす効果が少ないことが実証された。ロシアのBryansk地区での計算で、1人・Svのリスク削減コストが3,200~9,600ユーロ(150万円)だった。これは、1人・Svのリスク回避のための補償や移住のための全費用8,000ユーロ(120万円)を超えた。1990年以後、除染政策はほとんど放棄された(Tabachny and UNSCEAR 2008)。

つぶやき

 今中さんの資料が充実していたので、割と初期に、チェルノブイリの実態を理解できていました。
 今回の中西さんの報告で、さらに良く理解できたし、除染の実態も判りました。
 個人的には、今の日本の除染基準は、いずれ、見直した方が良い気がします。

 なお、移住者数などの一部に今中哲二さんと中西準子さんの数値が異なっている部分もありますが、全体の流れを理解すれば良いと思っています。


【追記】【個人的メモ】
★「河北新報」2012/12/9 桜井よしこさん「除染基準の緩和が必要」郡山で講演

関連エントリー

●福島とチェルノブイリの大気放出量の比較、被ばく量の現状ほか [2012/07/01]

●「チェルノブイリの健康被害 25年の記録」の問題点とドイツの実態など [2012/05/17]

●ICRP111から過去に学ぶ、あらためてチェルノブイリのこと [2012/04/01]

ロシア政府が25年間の調査をまとめた報告書から
●チェルノブイリ25年、放射線より社会的・経済的影響の方が大きな被害 [2012/03/18]

【個人的メモ】
●「中西準子HP 雑感610」2012.10.2 チェルノブイリ対策の評価と戦略研究国立研究所(ウクライナ)のHP
●Togetter「2012年3月 政府のチェルノブイリ調査団報告」より(by Kontan_Bigcatさん)
チェルノブイリと福島の本当の比較 2012/3/4
チェルノブイリを見つめなおす―20年後のメッセージ 2006/6/16(今中哲二・原子力資料情報室)
[ 2012/09/04(火) ] カテゴリ: チェルノブイリとの比較 | CM(0)
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