ポストさんてん日記

放射線・エネルギー・環境・化学物質・食品などの情報をアーカイブとして整理すると同時に、徒然につぶやいています。 リンクはご自由に。

低線量放射線のリスク管理とは

[ 2012/05/02 (水) ]
 “リスク管理とは”を勉強がてら纏めよう思っていましたが、どうも堅い論説が多い様です。放射能放射線
 入口の部分では、低線量放射線の人体影響をリスクとして捉えることから始まります。これは(ICRPのLNT仮説に従って)低線量放射線の人体影響には閾値がないことを前提とするからです。
(DNAに関する分子生物学の研究からは、閾値があるとの主張もあり、素人のブログ主も理解したことを書いて来ましたが、そのことはひとまず置いておきます。) 

 “閾値がない”この問題を「危険か安全か」の二元論にしてしまうと、短絡的な結論はゼロリスクとなりますが、自然放射線などと矛盾したり、逆に悪い影響(住民の不利益やマイナスの経済効果)が出てくることになります。
 また、「危険か安全か」の二元論にしてしまいがちなのは、放射線影響について判っていることに対する無理解や誤解の上で予防原則を極端に解釈していることや、作用と副作用、メリットとデメリットと言う広い視野を欠いていることも大きいような気がします。
(ちなみに、“リスクは個人によって違う”面もあるので、食品の選択や自主避難のように、個人とその家庭内に責任と権限が及ぶ範囲で自由な選択をして、静かに行動している方々の判断は尊重すべきと思っています。)

 一般的な論説で次に来るのはリスクの比較とかリスク評価です。良く知られた図表も登場します。
 放射線だけを比較したものとして、
●放射線被ばく早見図(2012/4/5更新)(放射線医学総合研究所)
 発がんリスクのなかで比較したものとして、
●がんのリスクの大きさ(国立がん研究センター)
●さまざまなリスクを比較する「放射能のリスクを生活の中のリスクと比較する」関連図表(GEPR編集部)*
などがあります。
こちらは、活性酸素によるDNA損傷と修復の話を理解するとうなづける資料なのですが、“ゼロリスク派”からはトンデモ資料扱いされてしまうようです。
* この資料中の100mSvの被ばくの相対リスク比1.005は間違いで正解は1.05だと思いますが。(言葉としても“相対リスク”が正しいような)
 その他の判りやすい図として
●PKAnzug先生の放射線の被曝量と人体への影響
もあります。

 このような状況の中で、柔らかい論説を探してみましたが、安井教授が、ある放射線危険論者への反論のかたちで“リスク管理”を述べています。判りやすいと思いましたので勉強のために引用します。

安井至教授のHP「市民のための環境学ガイド」から、2012/2/19 反「安全論者」の論理

(始まり部分の要約)

エコケミストリー研究会という研究会が年間6回、ニュースレターを発行している。
この1月に発行されたNo.111は、「放射線の健康影響を考える」という特集で、6題の論説があり多様な考え方に基づく主張が含まれているが、なかなか良い特集だったのではないか、と思われる。 
この特集の中の一つの
福島大学の石田葉月准教授による『福島原発事故に伴う低線量被曝リスクをどう捉えるか』は、ひときわ目立つ。なぜもっとも目立つのか、その解析を行うというのが、今回の主要な目的としたい。


(危険論者の類型などについて)

A君:まず、第一のポイントは、ICRPの放射線管理の考え方する人を「安全論者」と命名しているところ。これから感じることは、「安全論者」は原発推進派と同じだという誤解をしているのではないか、ということ。

B君:原発に賛成か反対かということと、放射線のリスクをどのように管理するかということとは、異なった問題であるということを理解していないということではないか。放射線は、原発だけが出している訳ではないのだから、当然別ものなのだが。

A君:それでは当方も同様のカッコ付きの表現をしますか。「危険論者」の主張は、いかに低線量だからといって、安全だという証拠はない。遺伝子修復だって、完全に行われる訳もない。だから危険である。

B君:そもそも、平常時の基準値1mSvを用いるべきであったのに、今回の福島のケースで、なぜ20 mSv以下という設定をしたのだ、これがダメだ。20 mSvなど、危険な数値に決まっているではないか。

A君:そうですね。確かにリスクがゼロであるということは、もともと科学では証明不可能ですから、その主張をしているのですよね。この考え方に凝り固まっているのが、「危険論者」だということはできそうです。

B君:「危険論者」は、それならどのようなタイプからなるのだろうか。

A君:「危険論者」が必ず反原発を主張しているのか、ということになると、こちらも多種多様なので、なんとも言えないのが現実ですね。

B君:確かにそうだ。反原発を主張するために、「危険論者」になっているタイプも居ることは居る。数は不明。さらには、できるだけ高額な補償金を求めるために、危険であると主張し、場合によっては、風評被害を大きくすることが有効だと考えているタイプも有りうる。

A君:単に、被曝量は少なければ少ないほどよい、と単純に考えているタイプ。このタイプが実は非常に多いのかもしれない。政治的な主張は放射線とは無関係の場合が多いように思える。

B君:これは、「いわゆる一般消費者タイプ」とでも呼べるのかもしれない。

A君:さらに、放射線=危険ということに疑問を挟む余裕すら無い人もいる。ある人からの情報だと、東京に住んでいたシングルマザーが、関西に引っ越した。その理由は、東京にいると、どうしても喉が痛くなる。しかも心臓も痛い。関西に引っ越したら、それが治った。東京で痛くなる理由は放射線だ。自分は放射線を感じることができるから。セシウムは心臓の筋肉に溜まるのではないか。

B君:もしそうだとすると、自然放射線とセシウムやヨウ素による放射線を区別して感じることができる人なのだろう。自然放射線のレベルは、花崗岩からなる地形が多いために、一般に関西の方が高いのだが。

A君:多分、セシウム、ヨウ素だけ感じることができるのでしょう。カリウム40には感じない。

B君:そこまで言われると、もう考え方を変えてもらうのは無理かもしれないと思ってしまう。しかし、本当に救いが必要なのは、この人ほど極端ではないにしても、放射線を過度に心配しすぎて、大きなストレスを感じている人々。特に、若い母親。

A君:そのストレスは、「危険論者」の存在によって、増幅される。しかも、「低線量暴露の安全性は科学的に証明されていない」と科学者に言われると、非科学者は信じるしかないと思ってしまう。

B君:しかも、そこに国家陰謀説を絡ませる論調は、現在の政治状況やNHKを含むメディア報道のために、信じられやすくなっている。


 (以下、リスク管理の本論が始まります)
 背景が薄赤の部分だけが引用です。
*印はブログ主が追記した注釈で、欄外に補足情報を記載しています。小うるさいと感じる方は読み飛ばして下さい。

C先生:問題点はそこなので、今回の石田准教授のようなタイプの「危険論者」に対して我々として何を言うべきか、というところに焦点を絞ろう

A君:そのような議論に限れば、結論は比較的簡単なのではないですか。それは、「リスクは比べられる」。

B君:その通りかもしれない。確かに「危険論者」は、リスクを比較しようとしない

A君:生命にとって、しかも日常生活においても、多種多様な、また、大小様々なリスクが存在していて、そのリスクを上手く避けながらなんとか生存しているのが現実。

B君:「上手く避ける」ことが不幸にならずに幸福になることに繋がるので、これがもっとも重要。

A君:「上手」にやる具体策は、リスクの大小や特性を比較して、どの方法を採用したら、リスクをもっとも少なくすることができるかを考えてから行動する。

B君:そのときに、様々な種類のリスクのうち、どれか一つをゼロにすることを目指すのではなく、合計で少なくすることを定量的に考えるのが賢い方法だということになる。

A君:ただ、それを実現するには、多少の知識が必要ではある。

C先生:リスク科学ではエンドポイントというが、あるリスクがあったとして、そのリスクが最終的に何をもたらすか、ということだが、今回の放射線であれば、エンドポイントは「致死性の発がん」。具体的には、白血病、甲状腺がん、固形がんなどなど。本当に致死性かと言われると、現代医学によって治療法が進んでしまったので、なんとも言いがたい部分もあるが。
 無いこととして、被曝の継世代影響はない。このぐらいの知識は必要かもしれない。

A君:疫学というものは、本当に難しい。しかも、ニセ情報を作るのが簡単で、前回白血病のことを調べていて見つけたこのような記事だって、ちょっと読んだら信じてしまう人は多いでしょう。

(中略)

A君:図解をしつつわかりやすく説明することが重要では。

B君:放射線のリスクなので、やはり平常時と緊急時に分けることは必須

A君:それ以外に、医療用途の場合も、ということで、これを作りました。
PET検査
          図1 医療用途

A君:PET診断を受けるかどうか。PETの陽電子源はどうも10 mSvぐらい摂取するようなので、それを取り上げました。被曝が嫌ならば、避ければよいが、避ければがんの発見が遅れる。ただし、がんを早期発見したからといって、そのメリットが確実に有るわけでもないので、どうするか。

B君:早期発見しなければならないがんとしては、すい臓がんと胃がんぐらいだとすると、それぞれ別の方法があるので、PETだけが良いというものでもない。

平常時の規準
          図2 平常時

A君:平常時には、意味のない被曝を避けることが目的。管理水準をどの数値に決めるべきなのか、となると、自然放射線あたりが一つの目安になる。日本から、北欧などに引っ越すことを考えると、1mSvぐらいの放射線をどこかで浴びても問題は無いだろうという程度の判断。

B君:この1mSvの解釈が問題で、この数値を越したら危険だということで決まっている訳ではない。危険だということは、100 mSv以下では、重大な臨床的な影響はでることはありそうもない*1、ということで決まっていて、管理用だから、厳しく行こうという安心宣言用の数値*2になっているものと思う。

(中略)

*1 この考えがなかなか受け入れられないのは以下のファクターが複合的に影響している為だと思います。
(1) 全体像は既エントリー
●ICRPをベースにしたリスクコミュニケーションがうまく進まないのは何故か?

(2) 危険論を主張する学者の影響
 【「原発避難」論】山下祐介・開沼博編著の第7章【「ホットスポット」問題が生んだ地域再生運動―首都圏・柏から岡山まで】の中で宝田惇史氏が以下の社会調査結果を明らかにしている、との事です。 
いわゆる「自主避難」をしている人々がSNSやメールなどインターネットを上のコミュニケーション手段に支えられている側面が大きいことや、武田邦彦・児玉龍彦・早川由起夫の3氏の主張を選択的に重視していること。
 出典:http://www.gepr.org/ja/contents/20120409-03/

 上記3名のなかでも、児玉教授の国会演説からの一連の発信は、(風評被害と同様のメカニズムで)大々的に報道されることによってインパクトを強めた訳で、トンデモ学者が自分のブログやツイッターでトンデモ発信をするのとは桁違いの大きな影響力だったと思います。
斗ケ沢秀俊さん(毎日新聞)はリスクコミュニケーションが失敗した要因の一つとして挙げており、個人的には、児玉教授の国会演説から始まる一連の発信は、世の中に与えた作用より副作用のほうが多いと感じていました。既エントリー

(3) メディアの両論併記の弊害
メディアは、一つの意見を書くことの責任を取りたくないために、100人対1人の意見の対立であっても、それを1対1の重さで書く
(参考エントリー)
●リスクに関連するメディアの特性についての“なるほど”

*2 ICRP111でいう計画被曝状況の時の拘束値(線量限度)のこと
 被曝するのは職業人でそれなりの訓練を受けた人。基本的には、「被曝限度に達したから、もう仕事はやめてくだい」という考え方。線源が制御されているから、線源から物理的に離れればもう被曝しないから。既エントリー

福島の現状でのリスク
            図3 緊急事態期

A君:緊急事態期には、別の考え方が必要になる。例えば、若干の内部被曝もあって、20 mSvよりは若干低い放射線量が有りうるという地域ではどうするか。

B君:それこそ、ALARAの原則*3だ。例えば、15 mSvを被曝しそうな地域に居住している場合にどうものごとを考えるべきか。

A君:その地域の留まると被曝量は多い。しかし、避難をすれば、それなりに様々な変化が生じるので、すべてがリスクファクターになりかねない。

B君:慣れない土地での精神的・金銭的な不安によるリスク。経済状況が悪くなれば、貧栄養や不適切な医療、さらには、あまり良くない住環境などなど。

A君:だからALARAの原則に従うことが、結果的に不幸になりにくい。

*3 詳細は下記の冊子を参照。
(一部引用)
ICRP111でこのことははっきりとは書いていないのですが、以下のことが背景になっています。
 強制避難をすると、健康や、社会経済的な結果は破壊的になる(=チェルノブイリでの経験)。
 しかも、なじみの所に住みたい人は多い(これが現実)。
 LNT(直線閾値なし仮説)によると、被曝が低ければリスクもそれに応じて低くなるから、ある程度被曝が低くなると、社会経済的な価値の方が大きくなる。
 社会経済的価値は、人間が判断するもので、その場所ごとに違うものだから、ある数字が全部の状況に当てはまると最初からは言えない。

 こういう理由があるので、はっきりとは書いていません。しかし、ICRP111の大局的立場は、線量が1~20 mSv/年の間にある時は、社会経済的影響を無視できないという判断です。だからこそ、住み続ける場合にどうするのかの指針をまとめています。

リスク管理のためにモノサシが必要
            図4 リスクのものさしが必要

A君:しかし、このような判断を下すためには、リスクのものさしが必要になる。それは定量的にリスクを比較することが可能になることが望ましいから。

B君:となると、バックグラウンドがどのぐらいあるのか。様々な発がん情報。放射線だけでなく、様々な要因によるもの。さらに、それらの要因への暴露の程度など。*4

A君:このぐらいの判断を余裕をもって行えるぐらいまで、精神的な余裕を持ってもらうことが重要で、それにはやはりしっかりと支えるという考えが必要だと思いますね。

B君:「危険論者」は、自らの主張を優先してしまって、どうにも放射線レベルが高い地域の人々に対してやさしくない。

A君:本当ですね。「リスクは比べられる」ことをしっかり説明することが、心配している母親などに寄り添う姿勢だと思うのです。

*4 ここまでを理解すると、リスクのものさしとして、冒頭に引用したリスクの比較とかリスク評価の図表の重要性も判って来ます。

(以下、リスク論からは少し外れていきますが、引用を続けます.

C先生:(中略)どうも福島大学の教員は、地元の不安解消のために余り効果的な努力をしていないように思う。
 その背後には、こんなこともあった。
 長崎大学の山下俊一氏が3月4月のころに述べたことは、ある種の主張をもっていた人々には受け入れがたいことではあったと思うが、長くチェルノブイリなどを見てきた医学者としての発言だっただけあって、本質を突いていたと思う。
 その山下氏が務めていた福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーの解任を求めた文書を出したのも、福島大学の准教授12名*5であった。そして、その代表が、今回の話題に取り上げた文書を書いた石田准教授であった。
 http://fukugenken.up.seesaa.net/image/E8A681E69C9BE69BB8ver8.pdf

 この文書を読んでみると、そこには次のように書かれている。

要望1
 次の立場の学識者を放射線健康リスク管理アドバイザーとして招聘して下さい。
(1)被曝量が少なくなればリスクは減るものの、どんな低線量でもリスクはゼロではないとする立場
(2)内部被曝のリスクを重視し、低線量であっても決してリスクは少なくないとする立場
 なぜ、このような立場のアドバイザーが必要であるか、ということの説明は次のようになっている。
説明
(前略)
 低線量被ばくの健康影響についての様々な見解を県民に示すことは、県民をいたずらに不安にさせるという懸念があるかもしれません。しかしながら、一面的な情報だけを流し、見せかけの「安心」を作り出しても、長い目でみれば、県民の健康を守ることにつながるとは思えません。低線量被ばくの健康影響に関する専門家の見解は定まっていないという事実がある以上、県民ひとりひとりがその事実を受け止め、考え、議論していかなくてはなりません。(後略)

C先生:低線量被曝の健康影響に関する専門家の見解が定まっていないことは事実だが、現代科学でも、見解が一つに定まっていないことなど多数ある。例えば、最近、余り聞かなくなった気候変動に対する懐疑派の見解は、その人数で言えば、1000名対1名程度の少数派であった。しかし、メディアは、それを1対1であるかの如く取り扱った

 ダイオキシンが話題になった1998年頃の「猛烈な毒性」についても、事情は同様であった。あの当時、ダイオキシンが猛烈な毒性を持っていると主張した研究者は、かなり多かったと思うが、今、何をしているのだろう。一般市民で、今でも「猛烈な毒性」を持っていると信じている人は何人いるのだろうか。

 低線量被曝についても、ICRPの見解が基本的に正しいと考えている専門家が大部分であり、ECRRなど、最初から政治的意図をもって異なった見解を述べている団体が多少存在しているに過ぎない(日本にもそのような団体があることは否定できないが)。

 そもそも、異なった見解を有する専門家であっても、その全員が100 mSv以下の低線量被曝でも健康に重大な影響を与えるという主張をしている訳でもない。なんといってもそのようなデータが無いのだから。

 要望書のような条件を満たす専門家は、あくまで少数派である。このような専門家をアドバイザーとして迎えることによって、「このような事実」、より正確には、「専門家によって意見が違うという事実」だが、これを県民ひとりひとりが、どのように受け止め、どう考え、どう議論するべきだという主張なのだろうか。

 現実的に全く無理な主張をしているのではないだろうか。その答えなしに、このような要望書を書いたことが明らかではないだろうか。

 ひょっとすると、「低線量被曝の健康影響がある」ことを「このような事実」であると、すり替える論理を使っていたのではないだろうか、とも疑われる。

 いずれにしても、この要望書が書かれた時点では、県民を不安にさせることを最初から是認している立場であったようだ。

 それなら現時点では、多少考え方が変わっているのではないか、と思ったが、エコケミストリー研究会のNo.111の記事を読んで、どうやら、「このような事実」の解釈がいよいよ「低線量被曝でも健康影響がある」という理解になったのではないか、と推測させるものであった。

*5 荒木田岳、石田葉月、井本亮、遠藤明子、熊沢透、後藤忍、小山良太、澁澤尚、中里見博、永幡幸司、村上雄一、森良次

つぶやき

 環境問題などでリスクを長い間、論じてきた安井先生なので、この論説には、(リスク・ハザード・エンドポイントなどの)大切な概念や(メディアリテラシーなどの)現状の問題点などが判り易く含まれていると思います。
 ただし、安井先生は“リスクというものを正しく理解するのは難しい、これは世界共通”とも述べています(別の資料で)。
 確かにそうですね。

 (個人的メモ)
 この論説に明確な記載がない重要な考え方は、以下の2つぐらいでしょうか。
  “リスクは個人によって違う。”
  “他の人のリスクを受け止める。すなわち、リスクの多様性と、判断の多様性を認め受容する。”

 以上、リスク管理についての勉強でした。

 ちなみに、ご存じの方も多いと思いますが、石田准教授を含む福島大学の教員有志*が“放射線副読本研究会”と称して“放射線と被ばくの問題を考えるための副読本”を3月27日に発信しています。多くの方々が科学的問題点等を指摘しています。* メンバーは要望書メンバー以外に、金炳学、坂本恵、佐野孝治、十河利明、沼田大輔、藤本典嗣。
以下の記事はそのまとめ情報です。
●「福島 信夫山ネコの憂うつ」2012/3/29「頑張れ」と書いたが、「福島大学放射線副読本研究会」は頑張らなくていいにゃ

 極めて共感!!!
 安井先生の最後の推測が、残念ながら当たっています。


【個人的メモ01】
放射線科学2010.05 Vol53 安全と安心の考え方
ALARP

【個人的メモ02】
● 新山陽子 2011/8/28 消費者のリスク認識 転記
[ 2012/05/02(水) ] カテゴリ: 放射線のリスクに関する | CM(4)
Re: ちょっと元気が出ました
この記事が何らかの創作ヒントになったとしたら嬉しいです。

Bloom先生の素晴らしい3部作のおかげで、自分の中では明確な結論を持てました。ありがとうございました。
さらなる記事も楽しみですが、無理せず、ゆっくりと、休みやすみ、取り組んで戴きたいと思います。
こちらも、そんな感じで進めるつもりです。
[ 2012/05/09 19:52 ] [ 編集 ]
ちょっと元気が出ました
新学期でとにかく忙しいのが主な原因なのですが、ここ1年、リスクを語ると人格や研究者としての資質まで批判されるのにちょっと疲れたこともあって(職場や家族への攻撃を心配する声もあったし)、ブログを書く気力が減退していました。

4月の「生物学者のリスクの見積もり方」の3つの記事は精神疲労の中、使命感で書いたのですが、この記事を読んでまだ伝えるべきことがあるような気がしてきました。

今後も記事を楽しみにしています。
[ 2012/05/09 10:15 ] [ 編集 ]
Re: タイトルなし
>人が一番凶暴との・・・
確かにです。

なかでも、人を傷つけているのに、その自覚がない人が一番凶暴なのかも。
[ 2012/05/03 08:47 ] [ 編集 ]
たしか、以前にひまわり先生のコメント欄に、大阪に移住について、福島では、ほとんど報道が無い様な凶悪事件報道が頻繁に出ている所に。福島に長く住んでとても怖いと思う。とのコメントがありました。 

確かにです。苦笑いですが。 放射線リスクより凶悪事件報道が頻繁に起こる場所とのリスク評価です。 人が一番凶暴との対策と、ある意味放射線はリスクがある程度対策できる可能性とのでしょうね。
[ 2012/05/02 23:00 ] [ 編集 ]
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