ポストさんてん日記

放射線・エネルギー・環境・化学物質・食品などの情報をアーカイブとして整理すると同時に、徒然につぶやいています。 リンクはご自由に。

リスクに関連するメディアの特性についての“なるほど”

[ 2014/03/12 (水) ]
少し追記。2014/6/7
(上記までの追記記録は割愛)
初回公開日:2012/04/17マスコミ報道甲状腺がん放射能放射線


表題に関する論説をつまみ食い的に拾ってみました。

 最初は、科学技術に対する一般市民のリスク認知 2013/10/6 田中豊准教授(大阪学院大学)から
メディアの報道にバイアスが生じる原因

ある大手新聞の現役編集委員である小島(2008)*は、メディアの記者は、
(1)一般市民と同様の先入観やリスク認知を持っていること
(2)「危ないことを伝えるのが記者の正義だ」という基本的思考を持っていること
(3)当該のリスクに対する専門知識や、記事の裏付けが不足していること
(4)市民感情を大切にするあまり、読者からの期待に応える記事を書こうとすること
などをメディア記者の視点から率直に語っている。

*印は毎日新聞の小島正美記者ですね。次はその著書“誤解だらけの放射能ニュース”の紹介記事からの引用で、
ニュースの大きさを決める方程式
出典:「食の安全情報blog」2012/3/7 誤解だらけの放射能ニュース

「リスク」についてよく使われる説明に次のような式があります。
  リスク=ハザード×発生頻度 
本書では、これになぞらえて、報道のされやすさについて、次のような式が提唱されています。
  ニュースの大きさ(伝搬力)=特異的なこと×物語×アクション
この式をもとに、被曝について危険性を訴える主張をしていた方々についての検証が行われます。例えば、菅谷昭・松本市長、児玉龍彦・東京大学教授、肥田舜太郎医師などです。
 この式は著者が提唱したものですが、応用の幅が広いように思えます。今後、特異な報道を目にした際に、冷静な分析を行うための一助となってくれるでしょう。


さらに、別の著書“誤解だらけの「危ない話」”からの引用を中心にした論説で、
記者は庶民感覚を大切にしている、メディアの特性、など
出典:「市民のための環境学ガイド」安井至教授 2009/1/11 21世紀型リスク感覚

(前略)

B君:リスクゼロは、実のところ経済至上主義によって後押しをされてきた。まず、消費者に思いこみを作って、それで市場を開拓する、というやり方。

A君:遺伝子組換え食品は食べると体に悪い。どこにもそんな証拠はない。しかし、非組み換え食品で売り込む。

B君:環境に悪影響を与えるというグリーンピースなどの主張も、いまだ証明されてはいない。

C先生:消費者に思い込みを作ることは、メディアの悪しき影響だと言える。しかも、問題は、そのような「庶民感覚」が最近のメディアがもっとも大切にする対象になっていることなのだ。
 今回、同じようなテーマで、またまた日経エコロミーに原稿を書いている。14日ぐらいに掲載予定。本物は、日経エコロミーのコラムを参照していただきたい。
 その原稿だが、現毎日新聞の記者である、小島正美氏の著書、”誤解だらけの「危ない話」”、エネルギーフォーラム、2008年9月、ISBN978-4-88555-352-3を推薦する記事なのだが、以下、その一部を引用する。


記者は庶民感覚を大切にしている

 記事の内容は、一般市民側が決める、というのが本書の一つの結論である。
 どうやら、「消費者が不安なら有害だ」というのが、記者共通の庶民感覚のようである。
 所属する新聞社によって、その庶民感覚は多少違うようである。そして、庶民感覚の例としては、以下のようなものを挙げることができるだろう。

庶民感覚の例
*原子力発電は危ない
*食品添加物は危ない
*残留農薬は危ない
*中国産食品は危ない
*残留抗生物質は危ない
*遺伝子組換え食品は危ない
*化学調味料は危ない
*トランス脂肪酸は危ない
*化粧品中の天然物以外の物質は危ない
*電磁波は危ない
*IH調理器は危ない
*だからオール電化は危ない
*ダイオキシンは危ない
*環境ホルモンは危ない
*カドミウムは危ない
*水銀は危ない
*BSEは危ない
*硝酸塩は危ない

 筆者の個人的見解であるが、これらの庶民感覚の中で、現時点で行われている以上のリスク対応をしなければならないものは、ほぼ無いと断言してよいと言える。勿論、100%確実な話はこの世の中に存在しないのだが。

(中略)
【ブログ主注】「原子力発電は危ない」の話があるが、今となっては陳腐化しているので割愛します。

C先生:メディアはある特性をもっていて、その部分に関して、日経エコロミーに書いた記事の一部を引用する。


メディアの特性

 メディアがニュース性のある報道を好むこと、これは、当然であって、特に非難に値することではない。したがって、報道には常にバイアスがかかっている。そこで受け取る方が、それなりの逆バイアスを掛けて、ニュースの真相を解き明かすという対応をする必要がある。

 これは読者にとって重要な対応策であるが、そのような逆バイアスをどのような方向に掛けることで真相に迫ることが可能なのか、という問いに答えるのはなかなか難しい。
 しかしいくつかのメディアの特性を理解することは有効かもしれない。

 どうやら次の3つにまとめることができそうである。

センセーショナル危険好きで平穏嫌い=マスメディアにとっては、エビデンスが低い話ほど面白い
メディアの正義観個別被害や情報隠しを重視
読者が期待する記事を書く傾向が強い

 センセーショナルであることを求めることも、これはメディアが商売である以上、仕方が無いことなのだろう。
 中国産ギョーザ事件以後、多くの週刊誌は、地下鉄のつり広告などでしか見ていないのだが、中国産の食材を食べているとそれこそ死亡してしまうのではないか、と思われるような記事を掲載したようだ。
 しかし、現実の中国産の食品は、日本の商社などによって比較的よく制御されていて、中国産の食品が食品衛生法違反になる率は、米国産、欧米産の食品に比べれも高くない。中国産が0.09%、米国産が0.12%だとのこと。要するに、米国産よりも安全かもしれないのである。
 中国産ギョーザ事件が日本社会に悪い印象を残したのは、やはり自らが責任を認めない国だというぼんやりとした感触を、強化するような対応があったからだと思う。

 メディアはやはり自らを正義だと思わなければやっていけない商売だろう。となると、なんらかの記事を書いて、自分が「良いことをした」と思えることが一つの重要な要素である。
 そのため、個別の被害者の救済につながる記事には、あるいは、情報隠しをしていた悪い機関を暴くとかいった記事にも、正義感に類似したメンタリティーがどこかにあると思いながら記事を読むべきなのだろう。
 個別の被害者といっても、必ずしも人間だけではない。温暖化の場合だと、ツバルの住民だけでなく、北極のシロクマも被害者になりうる。要するに、読者のセンチメンタリズムをくすぐることも、記者にとっては有用な手法だということになるだろう。

 最後に「読者の期待に沿った記事」という指摘がきわめて重要である。小島氏は、日本農業新聞は、常に、米国産の牛肉は危ないと書かざるを得ないのだ、という説得力のある説明をしている。
 加えて、小島氏は
朝日新聞の読者は、危ない記事を期待している傾向が強い。特に、「ダイオキシンが危ない」と書かれることを期待しているし、「組み換え作物のマイナス面」も期待している、
と非常に思いきった記述をしているのが面白かった。

A君:これまで「公務員は無謬」とされてきたのが、最近は消滅した。今は、「メディアは無謬」がどうやら一般的。

B君:そんなことは無い。メディアだって間違う。書いているのは人なのだから。人に過ちはつきもの。

C先生:その部分についても小島氏の本は記述をしている。
 そこに関する日経エコロミーに書いた記事の記述を引用したい。


誤報への対策はあるのか

 例えば、日本経済新聞は2006年6月に「デトックスの基礎」という記事を書いた。そこで、『毒素』の医学的な定義は、有害な重金属や化学物質のことで、具体的には、水銀、カドミウム、鉛、アルミニウム、ヒ素が五大有害重金属と呼ばれる」と記述した。

 「アルミニウムと健康連絡協議会」は、「毒性をほとんど示さないアルミニウムを、水銀やカドミウムなどと同列に扱うのは、結果的に間違った情報を読者に与え、社会に無用な不安と誤解を与えるものだ」との見解をまとめ、日本経済新聞社に訂正を求めた。

 しかし、日本経済新聞社は、次のように反論した。「アルミニウムを懸念する見方が幅広く存在する。100%無害であるという証明はないことから、訂正はできない。ただし、アルミニウムと健康連絡協議会の見解も理解できるので、後日、アルミニウムを取り上げる際、協議会の見解も考慮する」。

 その後、日本経済新聞社は、五大有害元素の出所の根拠として、「デトックス関連分野で一定の権威をもつA医師の認識だ」という見解を送ってきたという。
 要するに、メディアが何か危ないと思っても、それだけでは記事にはならないのだが、それを発言主張してくれる「専門家」がいると、記事になってしまう
 100人の専門家がいて、99人が安全だと主張しても、1人が危ないと言えば、マスメディアはまずその1人の主張を取り上げるのが本性だと思われる。

 しかし、日本経済新聞の説明でもっとも問題なのは、「100%無害であるという証明はないことから、訂正はできない」、という部分である。
 100%無害なものなど、この世の中に何も存在しない、ということを常識としなければならないのに、100%無害なものが存在するかのごとき理解をしていること、それが最大の問題である。

 小島氏は、次のような例も指摘している。ダイオキシンの研究者が、「いま影響が見えないからといって、無害とは言えない」という言い方をすることがある。これも論理は同じだ。「いつ影響がでるか、だれも予測がつかないから、現時点では無害と言えない」という理屈が通れば、世の中に安全なものは何一つない」。

A君:このダイオキシンの研究者の発言への批判は、極めて正しいですね。

B君:この小島氏の本が余り売れていないようなだが、それも関連する事業者、研究者、などにとっては、痛いところをズバリと突かれたからかもしれない。

C先生:余り長く書いても仕方が無いので、最終的には、個人がどのような見識を持つか、それが重要だと主張して終わりたい。
 自分のリスクに関する見解がどのようなものかを判断するリトマス試験紙のようなものを用意しようと思って、それを最後のまとめにした。

個人の見識が重要

 このような特性を持つメディアから正しい情報を得るには、やはり、最終的には、個人が見識をしっかり持つことだろう。
 その見識であるが、以下のリストのような記述に対して、あまり違和感がなければ、まずまずの見識を持っていると言えるのではないだろうか。このリストはリスクに対する見識のリトマス紙とでも言えるだろうか。

*リスクをゼロにはできない
*しかしリスクには安全圏がある
*もしも安全圏を超えているようなリスクが見つかって対策が出せれば、それは関係省庁にとって大手柄である
*食品というものは、それ自身にリスクがある
*例えば、植物の葉は一般に食べられないが、比較的毒性の低い植物を野菜と呼んでいる
*食品の最大のリスクは、感染症である
*食品添加物の特性情報はよく分かっているので、健康被害のでない使い方が行われている

【つぶやき】
これも原発事故発生の前に書かれたものですが、リスクに関連するメディアの実情およびそれに対する個人の対応といった面で、現在の放射線リスクでも“なるほど感”が高いものでした。


【追記】
小島氏の最近のネオニコチノイド問題に関する論説から

企業が製造・販売した製品に欠陥があれば、PL(製造物責任)法によって、製品が回収されたり、企業が処罰の対象となる。ところが、新聞やテレビなどが伝えるニュースに“欠陥”があっても、ニュースが回収(撤回)されたり、企業が罰せられることはまずない
大学の先生といっても、それこそ玉石混淆なのだが、結局、記者は自分の価値観、正義感、思想に合った素材(ニュースねた)を選び取り、その素材を市民団体の意向に合う形に加工・制作したわけだ。



以下、既エントリーから、メディアの特性に関する部分だけを転記しました。

 リスクで考えるということは科学・技術報道にあたる基本の作法なのですが、ジャーナリストの姿勢としてまだ十分に身についているとはいえません。リスク報道に関する「行動基準」もありません。ジャーナリズムはニュースになるということを一番においています。リスクを敏感にとらえることは大きなニュースになりますが、それがすぎるとセンセーショナリズムにおちいります。
 リスクを受け入れる側には「リスクを教えてくれる/リスクから守ってくれるのは『お上』の仕事」という考え方があり、そのような土壌はジャーナリズムにもあります。そのため、何かあると「お役所の責任」という伝え方になってしまうのです。

 リスクは個人によってちがっています。個人で判断することが必要です。行動の選択肢をふやすためのデータを出すのがジャーナリストの役目です。

 いまから20年ほど前、アメリカで開催された環境報道のシンポジウムに参加したとき、環境保護庁(EPA)から、「環境報道を説明する」という小冊子が配られました。そのなかでジャーナリストの特性
  「科学よりも政治にニュース価値を置く」、
  「安全よりも危険にニュース価値を置く」、
  「危険か安全かの二つに単純化する」、
  「記者は真実ではなく、見解を取材する」、
  「記事を特定の個人の話に仕立てる
と紹介していました。ニュース報道は意見を書かず事実を伝えるものです。しかし、これらの点はリスク取材・報道の欠点をよく突いているものとして、「リスク取材の戒め」としています。


(斗ケ沢秀俊氏(毎日新聞)による講演のレジメから引用)
(3) メディアの限界

 ① 危険情報を大きく扱うメディアの宿命
  安全情報はニュースになりにくい
 ② 「公正中立」報道の落とし穴
  「危険少ない」コメントと「危険大きい」コメントが両方載り、読者は混乱した
 ③ 「売れる記事」は危険情報
  週刊誌(週刊現代アエラ週刊金曜日、残念ながらサンデー毎日)の横暴
  危険派市民団体機関紙?「こちら特捜部」で東京新聞は部数増
 ④ 記者の勉強不足
  内部被ばく危険説に取り込まれる
 ⑤ 危険報道は「反権力」という誤解
  朝日「プロメテウスの罠」、NHK「追跡!真相ファイル」のお粗末
 ⑥ 「予防原則」は正しいか
  「低線量被ばく(あるいは内部被ばく)=分からない=予防原則に従って、
  出来るだけ低く抑える」というのが社説の定番
  ALARA(合理的に達成可能な限り低く抑える)の立場が適切


【つぶやき】
週刊誌と東京新聞のことしか明記されていませんが、そもそも週刊誌や弱小紙はそんなものだと思っていますし、東京新聞などは初期には原子力ムラの実態を明らかにした報道ではいい所もあったと思います。(東電からの広告費がなく、しがらみがない特性で。)

それらよりも遥かに大きな問題は大手メディア(三大紙+5大キー局)の役割と責任です。朝日「プロメテウスの罠」、NHK「追跡!真相ファイル」だけではなく、信濃毎日10/4の記事「10人の甲状腺機能に変化」などのような重大誤報の反省や検証がないのは、いかがなものでしょうか。
“② 「公正中立」報道の落とし穴”ときれいごとの様に記載されていますが、メディアの両論併記の弊害すなわち「メディアは、一つの意見を書くことの責任を取りたくないために、100人対1人の意見の対立であっても、それを1対1の重さで書く」との批判へも対応が必要かと。
さらには、科学技術のリスク概念に対応できていないこと、リスクコミュニケーション概念がないこと、官庁と企業のプレスリリース中心主義、などの体質的問題があると思います。

⑥ 「予防原則」は正しいか”の部分は“ALARA”も書いてあり、奥が深い話になりそうですね。確かに「予防原則」を振りかざすのが楽な姿勢で良くある事なのですが、“「予防原則」の適用は慎重に”をどう定着するか?は“ゼロリスク志向からの脱却”とセットで本質的な問題の様な気がします。

(念のために)これは斗ケ沢秀俊さんへの反論ではなく、レジメを材料として使用させて戴き、大手メディアへの諫言などを書いています。斗ケ沢さんのレジメには感謝申し上げます。

 原発事故から1年近く経つが、この間、メディアでは反原発派の無責任な発言に依拠した報道が目立った。

 とはいっても、問題の所在は既存メディアだけではない。ネット上では相変わらずツイッターなどで放射能デマが凄まじいスピードで拡散している。 新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科の碓井真史教授はその背景をこう分析する。

 人間は、自分が不安を感じているにもかかわらず現実には何も危険が起きていないという矛盾した状況を嫌う傾向があり、不安を裏付ける情報を集めようとする。これを社会心理学では『認知的不協和理論』といいます。“安全だ”と主張するよりも、“危険だ”と煽る情報が拡散しやすいのはこのためです。

 気をつけなければならないのは、集団で討論していくうちに、当初の意見がどんどん過激になり、極端に走る『集団極性化』の状態に陥ってしまうこと。そして、最も過激な“危険だ”という声だけを信じるようになり、反対意見をいう者がいれば、“安全デマ”、“御用学者”と激しく非難して攻撃対象にし、セクト化してしまう。カルト宗教にも似た心理状態で、大変危険だ。こういう事態を助長したのは、メディアの責任ともいえる


 むろん、報道や言論は自由であるべきだが、仮にもジャーナリズムを標榜するなら、最低限の事実確認と専門分野への理解がなければ「煽動」と罵られてもしかたない。各媒体の主義主張で事実がねじ曲げられるなら報道ではないし、ただ「売らんがため」に煽れば “活動家”の宣伝媒体に成り下がる。


以上ではメディアのネガティブな面に焦点をあてましたが、最後にその逆の情報提供です

●togetter 2012/5/1 福島地元テレビ局大森真さんの被曝対応とデマ対策
 応援してます!!

関連エントリーはカテゴリーにひとまとめにしています。記事下部or左欄のカテゴリーリンクから、どうぞ。

【メモ】
福島第一原子力発電所事故後の週刊誌報道の分析と情報の扱われ方 (2014) 佐野和美 2014/5/31 日本マス・コミュニケーション学会「研究発表論文集」
★「JBpress 越智小枝氏」 2014/5/28 鼻血を出した「美味しんぼ」の取り締まりは大間違い 福島に勤務する内科医が見たジャーナリズムの本質
リスクと報道~特に食品の安全をめぐって 2010/2/8 江戸川大学 中村雅美

【追記】
以下、本論から外れますが、メディア関連の柔らかい論説

「やわこく まあるい おばちゃん」 2014/6/19  しょせん野次馬
「開米のリアリスト思考室」 2014/6/19 原子力論考(116)マスコミの存在意義はどこにある?(前編)(後編)

彼らがああいうデマを流してしまう理由は3つあると思います。
1つは、不勉強だからそれがデマだとわからない、ということ。
2つめは、危険だという話のほうが売れるから。
3つめは、ある種の偏ったプライドがありそうです。

[ 2014/03/12(水) ] カテゴリ: リスク認知など一般的な | CM(4)
急性喉頭蓋炎は、A群β-溶血性連鎖球菌でもおこりますので、結構にヤバイのですよ。急性喉頭蓋炎は気道を塞ぎますから、窒息の可能性がでます。 それには挿管しかありません。
[ 2012/04/23 22:08 ] [ 編集 ]
科学的と言われると困ってしまいます。

化学に関連していること。物質の組成・性質・変化に関連していることを表す語。
と訳すこともですが。

 物質の組成・性質・変化に人工、自然もありませんし。化学物質も人工、自然由来もないのです。 合成薬も漢方薬も薬剤となります。科学はそれを再現できるか?。ですし。 アナフィラキシーショックに、自然物質も人工物質もありませんし。 タンパク質で起こる場合は、人工由来でないです。 
[ 2012/04/23 21:10 ] [ 編集 ]
Re: 庶民感覚
>庶民感覚
に共感します。

“ゆる~い○○派”は多様性の一種として好意的(新規市場もできるので経済にとっても丸)な一方で、“先鋭的○○派”は社会全体の幸せにならない、という事なのかも知れませんね。

>ゼロリスクが他者(福島)などを追いつめるということが見えてきたから・・・
私が色々と勉強しようと思ったのも、同じようなキッカケだったと思います。
“何だか変だ”とか“バランスが執れていない”とかいう感覚が先で、科学は後だったような。

“放射能に対する過剰な忌避感”は過去からの悪い影響も大きいと思います。そう考えると、今の“放射線ゼロリスクは間違い派”は、広島・長崎の方々が過去に背負った理不尽の上に育っているのかも。
(今まではあまり意識したことがなかったですが、書いているうちに、ふと思い立ったので、そのままを書きました。)
[ 2012/04/21 10:42 ] [ 編集 ]
庶民感覚
こんにちは。庶民(主婦)として、危険なものいろいろ、あてはまってます。避けています。エコというほどではないのですが、4男がアレルギーなため、いろいろと(化学的なものはよくない、これもあれも原因かもしれない)と思い、ゆる~い自然派だと思っています。冷凍惣菜の類や、柔軟剤、洗剤の合成界面活性剤というのを避け、電磁波も嫌なので電子レンジも捨てて、薬も抗生物質は、風邪程度では拒否し、(今、次男、ようれんきんで飲んでますけど)・・・

今回、私がそれならばどうして放射線に関してゼロリスクにならなかったかを考えました。すると、科学を学んだことと、福島にゆかりがあることの2つだと思います。
それから、ひところから、ゼロリスクはおかしいという論調がふえてきたのは、ゼロリスクが他者(福島)などを追いつめるということが見えてきたからではと思っています。おそらく、私も福島にゆかりがなくても、「放射線ゼロリスクはおかしいぞ」と思ったと思います。

私がかなり早くから嫌だったのは、庶民が嫌う、その、いろんな項目には無頓着なくせに、放射線だけゼロを求める主婦です。外食しまくるから「セシウムゼロのお店知っている?」みたいなかんじの人でした。私、こういう人けっこういると思います。

[ 2012/04/21 06:47 ] [ 編集 ]
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