ポストさんてん日記

放射線・エネルギー・環境・化学物質・食品などの情報をアーカイブとして整理すると同時に、徒然につぶやいています。 リンクはご自由に。

ICRPをベースにしたリスクコミュニケーションがうまく進まないのは何故か?

[ 2012/03/22 (木) ]
『田崎先生の“ICRPとの付き合い方”』を追記しました。2012/9/9放射能放射線


 安井至教授の論説を読んで、その内容を表記のように理解しました。LNT仮説はリスクコミュニケーションの面では問題があった、との主張で、今までで一番腑に落ちる論説でした。さらに、以下の関連情報もアーカイブしました。
  田崎先生の“ICRPとの付き合い方”
  冊子『ICRP111から考えた事
  「アカチバラチの日記」2012/3/22 『分かっている事』を無視する『分かっていない声』

安井至教授のHP「市民のための環境学ガイド」から、
2011/10/9掲載のICRPはなぜ信頼できるのか

(一部のみ引用)

(前略)
 この2年間程度は、ICRP(国際放射線防護委員会)の言う非常事態だ、という認識を持つことは不可能なのでしょうか。例えば、2年間であれば、1mSv/年と5mSv/年が本当に違うのでしょうか。むしろ、このコミュニケーションが必要だと思いました。
(中略)
 元長崎大学の山下俊一氏が福島県の放射線アドバイザーであったときに、「福島県は安全だ」と述べたとして、福島大学の教員有志からを始めとして、県に対し山下氏の解任要求が多数なされました。山下氏は、チェルノブイリでの状況をつぶさに観察してきた経験から、「本当の問題は、別のところにある。それは、精神的うつ状態になることだ。チェルノブイリではそれが現在でも続いている」、という主張をしたのではないかと思います。

ということで、Q&Aに行きます。

質問:ICRPを信用することは難しいです。なぜならば、学者の意見が一致しておらず、ICRPの基準は甘すぎるという人がいるからです。どうして、ICRPを信じることができるのですか。

回答:私自身、ICRPの主張の根幹をなすLNT仮説(後述)は、放射線のリスクを正確に伝達する際には障害になると考えております。

 LNT仮説は、リスクを過小に評価しないための仮説で、言い換えれば、リスクを意図的に過大に評価するための仮説です。
「放射線の防護、すなわち、平常時における管理のためには、放射線リスクの過小評価をしてはいけない」というICRPの立場は十分理解しているつもりですが、「ICRPの勧告では、平常時に関する勧告を現時点の福島県のような状態でも守るべきだと考え、不安を抱く人が多くなりすぎる」、と考えていたからです。

 無用に不安をいだけば、その人も、その周辺の人も不幸になります。リスク評価は、そもそも人々が幸福になるために行うことです。リスクコミュニケーションは、その目的のために行うことです。

 ICRPの平常時に関する勧告は、基本的に過大評価であり過ぎるために、これを元にリスクコミュニケーションを行うと、どうしても、人々を不幸にしてしまうように思えるのです。

 一方、ICRPの非常事態に対する勧告リスク評価そのもの伝達しようとしているように思えます。しかし、受け入れる人が少ないという問題があります。

 いずれにしても、なぜICRPの非常事態の勧告を信じるのか。この質問にお答えするには、かなり長い説明が必要になります。以下、いくつかの項目に分けて、説明をしたいと思います。


(ブログ主注):以下は記載内容が項目として判るレベルの抜粋です。(抜粋したセンテンスの前後の繋がりがない所もあります。) 具体的内容は原文を参照ください。

Ⅰ.ICRPの見解の歴史的推移

 ICRPの見解が、歴史的にどのように変わってきたかを知ると、信頼をすべき組織ではないか、と思えるでしょう。

1.使えるデータは、やはり広島・長崎のデータのみである

 1-1.放射線障害の歴史

 1-2.広島・長崎の放射線影響の調査
  (1) 広島の爆心地に近いところでの被曝者
  (2) 広島・長崎の環境からの放射線
  (3) 寿命調査
  (4) 遺伝影響調査

2.ICRPの勧告の推移
 2-1.ICRPの設立
 この団体の判断が、相当に安全サイドに立っていることは、きちんと調査をすれば分かることである。

 2-2.放射線の人体影響にかかわる科学の進歩
  (1) 遺伝的影響について
  (2) 発がんへの影響
 ICRPは、1965年勧告で次のように述べている。
 「われわれは、しきい値が存在しないという仮定、および、完全に線形であるという仮定は正しくないかもしれないことを知っているが、この仮定によって放射線のリスクを過小評価をすることになる恐れはないことで満足している」。
 すなわち、ICRPはLNT仮説が過大評価であることを認識している。

  (3) LNT仮説の安全度
 LNT仮説は、リスクを過小評価しないために取り入れられている。どのぐらいの過大評価になっているのだろうか。

 哺乳類は、(中略)酸素呼吸のために、すべての細胞で、1日で5万から50万ほどの塩基配列が壊されている。これでも生命が維持でき、それなりに発がんを抑えこむことが可能という不思議な状況が毎日起きているのが、哺乳類というものである。なかでも、ヒトは、非常に高度な防御システムを持っている

  (4) ICRPはさらに安全サイドの勧告へ
 ICRPは、安全サイドの評価を行うことを使命としている組織である。そのため、勧告がでるたびに、さらなる安全側へと動いてきた。

  (5) ICRPの低線量被曝の評価
 1990年勧告では、「何年もの期間にわたり放射線を被曝した場合、約500mSv以下の線量では、重篤な影響は起こりそうもない」。
 この記述の根拠と思われるのは、例えば、インド、ブラジル、中国、イランなどの天然放射線が強い地域での疫学研究に基づいているものと思われる。
 例えば、インドのケララ州では年間平均3.8mSv、イランのラムサールでは年間10.2mSv、中国の陽江では年間3.5mSvの自然被曝がある。
 陽江の影響については、京都大学の菅原努教授の疫学研究があり、総被曝線量が400mSvを超す82名については、発がんの相対リスクが対照群の0.66と、相当に低いことを明らかにしている。
 このデータは、ICRPが採用しているLNT仮説とは全く合わない。

 2007年勧告は、そのため次のようになった。
 「吸収線量が約100mSvの線量域まででは、臨床的に意味のある機能障害を示すとは判断されない」。

 この文章が現時点でも有効な見解です。そして、非常事態における一つの基準になっています。

Ⅱ.この問題の本質と学者の本性

 意見を合わせないのが学者の本性:学者の意見は、どんなことがあっても統一されることはありません。その理由を説明します。

 日本においてECRR流の主張を繰り返している学者は、自らがICRPのような一流の組織の一員になれないもので、反ICRP的発言によって、自己主張をしているのです。それを採用して同様の主張をしているジャーナリスト的な人々(学者?)も多いのです。

Ⅲ.組織の成り立ち

 組織には、その裏にどのような組織があるかを知る必要があります。

 放射線のリスクを正しく理解できないような一見科学風のデータを作ることを使命と考えている一群の学者がいて、ECRRを構成しています。

 ECRRは、主として、放射線によって健康被害が出た、として裁判に訴えている原告の支援をしています。

 ECRRが市民団体であることは事実です。単なる市民団体が、各国政府やWHOなどの国連機関が黙って従うほどの権威のあるICRPよりも信用できる、という判断ができるのはなぜでしょうか。不思議です。

 そのECRRも、100mSv以下の被曝については、ICRPとほぼ同様の考え方をしています。要するに、「100mSv以下の被曝は、臨床的に意味のある機能障害を示すとは判断されない」ことには同意しています。しかし、外部被曝よりも遥かに多い内部被曝が同時に起きるため、ずっと多くの放射線に被曝することが実状だ、という独特の解釈によって、被害が出たという主張をしているのです。


つぶやき

 ICRPの“平常時に関する勧告”と“非常事態に対する勧告”は別物として捉えた方が良い、との事ですね。
 ブログ主もICRPの詳細を知る前に、LNT仮説の事を調べたりしていました。今から思うと、順序が逆だったと思います。
 この論説が書かれたのは昨年の10月、少々、目にしたのが遅かったと悔やみますが、“リスクコミュニケーション”という観点を持つ・持たないが本質的な理解の分かれ目なのかも知れません。
 ECRRについては、すでに色々と明らかになってはいますが、“意見を合わせないのが学者の本性”との説明は学者の発信として普遍性を感じます。科学的な信頼性の高い低いを問わなければ、常に対立意見が存在する、と言う事ですね。


“リスクコミュニケーション”に大きな影響を与えた2件の出来事
 ●なぜリスクコミュニケーションは失敗したのか、日本の一年間、スウェーデンの例からの転記です。

小佐古教授の内閣参与辞任(4/29)は、非常事態であるにも関わらず、通常の基準を当てはめるべきだという主張をしたのですね。
“感性面で非常に大きな影響を社会に与えた”、“「みのもんた朝ズバ」(5/1)に異変があった。ネットなどで常に放射線のリスクを強調する元放射線医学総合研究所の女性研究者(崎山比早子氏らしい)が出演し不安を呼び起こすのに充分なメッセージを発した”、“原子力発電所に反対する東京のグループは、このときばかりは勢いづいた”、“そのスローガンは、「子供を守ろうとした学者が辞めた。政府の対応は問題だ」だった”、と毎日新聞の小島正美記者がその著書で記述している*1、との事。

児玉教授の国会演説(7/27)*2は世の中に与えた作用より副作用のほうが多いと感じています。大きい副作用として、まず、“チェルノブイリ膀胱炎とやら*3セシウムの内部被ばくを過剰に危険視する流れ”を作ってしまったし、次が、“食品の放射線測定が簡単にできると言うイメージ”を広めた事、さらには、“除染が簡単にできると言うイメージ”を広めた事。

 この2件は(風評被害と同様のメカニズムで)大々的に報道されることによってインパクトを強めた訳で、トンデモ学者が自分のブログやツイッターでトンデモ発信をするのとは桁違いの大きな影響力だったと思います。

(個人的メモ)
*1 http://www.yasuienv.net/RadRiskCom2.htm
*2 http://www.yasuienv.net/WhyZeroRisk1.htm

*3 チェルノブイリ膀胱炎についてはそれを否定する意見が多い。
関連エントリー:●きわめて主観的なメモ(信用する専門家、しない専門家)



2012/3/28に下記の資料が発行されました。事故収束時の考え方の基本が書かれていて超お勧めです。

ICRP111から考えた事
Introduction to ICRP Publ. 111
福島で「現存被曝状況」を生きる


[著者]
高井先生 @J_Tphoto
生徒会長 @buvery
 これを読むと、あらためて上記の小佐古教授の内閣参与辞任児玉教授の国会演説などの出来事が好ましくない事であったと判ります。
 (関連エントリー)●ICRP111から過去に学ぶ、あらためてチェルノブイリのこと


 (要旨)

 『放射線のリスクには分かっていない部分がたくさんある』という声が出る。
 放射線の影響は完全には解明されておらず、分かっていないことがあるのは確かだ。
 しかし一方では、『分かっていること』もたくさんある。今の様々な基準というのは、こうした『分かっていること』を踏まえて、それにさらに安全余裕を加える形で作られている。

 『分かっていない』を強調する声は、むしろ『分かっている』ことすら無視させる語り口になってはいないだろうか。 私は甚だ疑問を覚える。

 LNT仮説(しきい値なし直線モデル)が現在でも採用されている理由は、とりあえずそれを採用しておけば放射線リスクを過少評価することは無いだろう=例え放射線リスクが想定より大きかったとしてもLNT仮説を超えることはないだろう、という公的機関チックな防護的な理由からであって、実際に“放射線はどんなに少量でも影響がある”と考えられているからではない

 ICRPなどは、100mSvを下回る線量については実証が不可能なほどの小さなリスクでしかないとして、“不明”としている。
これもよく“不明”という言葉だけ抜き出されて、強調して語られることが多いわけだが、ここで言う“不明”の意味は、「どれだけ大きいか見当もつかない」という意味での“不明”では無く、「どれだけ小さいか示すことも出来ない」という意味での“不明”だ。
こういったことも、放射線について『分かっていること』の一つだ。

 “100mSvで0.55%”という数字については、広島・長崎原爆の、ごく短時間に100mSv以上受けたケースが下敷きになっている。
 細胞のDNAには修復機能が元から備わっているので、同じ線量でも一瞬で100mSvと長期間で100mSvでは、長期間に受けた方が影響が小さくなることも分かっている。

(その他の具体例については略)



【最新追記】
田崎先生の“ICRPとの付き合い方”

 田崎先生の最新資料の中の説明が“なるほど”でした。
★日々の雑感的なもの―田崎晴明2012/9/5
資料の中の2枚のみを下記に紹介します(田崎先生の本意から外れる引用で恐縮ですがご容赦ください)。
田崎先生のICRP感

【つぶやき】
 ICPRの勧告に対して専門家の中で、それを過大(安全余裕を見すぎている)とする主張も、過小(危険性を軽視している)とする主張もありますが、放射線防護としては適切であるとの主張が主流を占めると思っています。ただし、今後も、立場を異にする専門家の間での論議としては、長く続くのでしょうね。

田崎先生の科学の方法
 
関連エントリー

●放射線防護の国際的枠組み
●“低線量被ばくの健康影響(私的な中間整理)”と“原子力ムラの既得権益保守仮説”
[ 2012/03/22(木) ] カテゴリ: 放射線のリスクに関する | CM(2)
Re: コメントありがとうございます!
同感です。
ただ、それを日本の社会全体がどうしたら今より理解・納得(ロジック)するか、を考えた時に、
(ゆっくり勉強中なのでまだまだ理解不足の状態なのですが)
LNTは防護の為のルールで非常時は別よ、という“正確な理解”*1や“リスク感そのものや、「リスク」で考える事”を日本の社会が消化するのは、なかなか難しいのかな、と思っています。
*1 http://www.nsc.go.jp/info/bassi_0908.pdf

岸本充生さんが主張している“規制科学”*2を使った方が受け入れられ易いのかな、とも思ったりしています。
*2 http://staff.aist.go.jp/t.yasutaka/Aist-Risk/20120224File/20120224kishimoto.pdf
新しい概念に触れると、直ぐ感化される傾向は自覚してますが(苦笑)
[ 2012/03/26 12:25 ] [ 編集 ]
しきい値なしは、この世にリスク0は存在しないので、最低限のリスクは存在し、その場合は甘受してね。という意味合いです。10万人に1人とか。 非常事態には、もう少し多く出るかも知れないけど、その場合も甘受してね。です。 でないと、トリアージは出来ませんからね。

そんなものケシカランというなら、代替出してね。と、 地球上すべてのモノが毒である。をどうするのか?。
[ 2012/03/26 00:23 ] [ 編集 ]
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