ポストさんてん日記

放射線・エネルギー・環境・化学物質・食品などの情報をアーカイブとして整理すると同時に、徒然につぶやいています。 リンクはご自由に。

続・日本人のリスク観についての“なるほど”

[ 2012/04/12 (木) ]
 日本人のリスク観について“なるほど”情報の第2弾です。第1弾はこちら
 くどい!とお叱りを受けるかも知れませんが、個人的な情報アーカイブとしてご容赦を。放射能放射線

 安井至教授のHP「市民のための環境学ガイド」を拾い読みしている時に見つけたもので、2009/9/13掲載の日本人のリスク観と文化的背景です。(ちなみに“日本人のリスク観”でぐぐると1~2位に来る情報です。)
 2009年に書かれたものなので放射線ではなく、化学物質を主題にした“日本人のリスク感覚が、欧州などとかなり違うこと”“日本人はどのようなリスク観をもっているのか”についての論説です。

 引用したのは一部だけで割愛した箇所も多いので詳細は原文も参照ください。

(一部のみ引用。ブログ主の判断で章題を付け、太字加工をしています)


「リスク管理」ということが何を意味するのか

(前略)

C先生:「リスク管理」ということが何を意味するのか、日本社会はまだ十分に理解していないのではないか、ということが我々の共通理解だ。

A君:リスクとは数学的には、「事象の危険性」に「事象への暴露の確率」を乗じたものだ、などと言っても、誰も理解してくれない。

B君:しかも、リスクというものは、可能な限り避けるべきものだ、すなわち、あらゆるリスクはゼロにすることが正しいという主張に同調する人々が多いのだ。

A君:まあ、それも無理もないことで、安全にできるのなら、安全にしてなぜ悪い、と思うのは自然なこと。

B君:安全にできるなら、という仮定が間違っていなければ、その通り。ところが、安全にするには、何か行動しなければならない。場合によっては、費用が掛かる。となると、リスクの大きいものから優先して取り組むことの方がトータルにはリスクは下がる

A君:すなわち、小さなリスクを無理やり減らしても、余り利益にはならない。無理矢理やることによって、場合によっては、多大なエネルギーや資源を消費して、別のリスクが生じるかもしれない。

C先生:その通りでリスク管理は正しい。

(中略)

欧州と日本のリスク観の大きな違い

C先生:いずれにしても、ノンフロン化によって、地球全体のリスクは下がる。しかし、家庭内で冷蔵庫が爆発する危険性は高まる。これは、明確なトレードオフであり、ノンフロン化のような決断は、事故に対して過剰とも言える懸念をもつ日本の消費者が相手だとなかなか踏み切れないものなのだ。

A君:そこに、欧州と日本のリスク観の大きな違いがある。

(中略)

B君:より具体的には、ある冷蔵庫が火を噴いても、あるいは、あるテレビが発火しても、それはそれで仕方がないと考える。むしろ、地球全体のリスクを低減することが重要だと考える。

A君:冷蔵庫が火を噴いたり、テレビが発火しても、それは個別に保険でカバーすれば良い。各人の健康に対するうっすらしたリスクや地球環境へのリスクは、保険ではカバーできないから、規制によってリスクを下げることが唯一の方法である。

C先生:この欧州的な考え方が合理的であるという部分もある。保険というが、それは個人が保険料を払うというよりも、電機製品にメーカーが高額の保険を掛けるという対応が正しいかもしれない。

B君:確率的に極めて低いことも事実なので、そのような対応も可能だけど、日本のような国だと、最近多少変わってきているが、メーカーにとって、火を噴く冷蔵庫を作ったということが、相当なマイナスイメージになる。

C先生:その通りで、事故が発生し、自社が目立つということは、日本では長い間タブーだった。そのぐらい製品の安全性には気を遣っていた。

A君:ところが、最近になって、様々な事故が製品の劣化などによっても起きる事態になった。今後、この点をどうするかが問題になっている。

C先生:それはそうなのだが、欧州的な対応をすることが妥当だということはある。例えば、BSEがそうだったと思っている。

A君:日本国内でも骨肉粉を禁止した後、牛肉を食べてBSE(ヒトだとvCJD)に感染する確率は余りにも低い。それに対して、ほとんど意味のない全頭検査を行って相当の税金を投入するなど、リスクに対する過剰対応

B君:もしも日本国内で牛肉をたべてvCJDに感染したら、20億円の保険金が下ります。その保険の掛け金は国が負担します。というメッセージを出すこともあり得た。

C先生:しかし、社会はそれを受容しなかったと思う。9月12日の朝日新聞のオピニオン欄に、プリオン専門調査会の委員長だった吉川泰弘東大農学系教授の談話がでているが、あの時点で、消費者団体ですら、多少の費用負担は構わないから、安全な牛肉が食べたいと言っていた。全頭検査でリスクがゼロになると思い込んでいた

A君:吉川泰弘教授の発言は、よくよく味わう必要があると思います。吉川教授の食品安全委員への就任に民主党などが不同意を表明。その後、日本学術会議の金澤一郎先生も、その不同意に対して「安全のための科学へ重大な誤解がある。科学的リスク評価と行政判断を混同し、リスク評価の独立性と中立性を損なう恐れがある」との談話を出した。

B君:行政的判断は、しばしば「票になるか、票を失うか」、ということが判断基準になるため、間違いを犯す*1

日本人のリスク感覚が、欧州などとかなり違うのはなぜ

A君:先の図に戻りますが、左側が日本のリスク対応。右側が欧州のリスク対応。ノンフロンでも、臭素系難燃剤でも、またBSEでもそうなっているのはどうしてなのでしょうか。

B君:それは、国民性というものだ。

C先生:国民性がどのようにして作られたのか、それは、長い長い歴史が形成したことだと思う。国民性も文化だが、文化というものは、そんなものなのではないか。

A君:となると、欧州人はもともと狩猟民族である。日本人は農耕民族である。ここまで戻りますか。

B君:狩猟民族の最大のリスクとは、食糧の供給が運任せのところでしょうかね。だから、チャンスと見たら絶対に見逃さない。もし危機になったら、それは、チャンスを掴めなかった自分が悪い。結果的に、個人主義になる。

A君:農耕民族の最大のリスクは、飢饉でしょうね。これは、今で言えば寒冷気候でしょうが。だから、多くの場合、運は天に任せる。しかし、もしも天候が順調だったとしても、農耕作業は共同作業ですから、村八分が最大のリスクファクターかもしれない。さらにその原因に思い至れば、村八分を誘発する「穢れ」が最大のリスクでしょうか。

C先生:新型インフルエンザに対して、水際作戦をやっていた5月の連休以前の話だが、この手の新型インフルエンザを水際で止めることは、潜伏期間がある以上無理だ。早く患者が出て、ウイルスを採取しワクチンを作る、同時にタミフルを大量に用意することの方が、リスク対策として優れている。
 個人レベルで考えれば、新型インフルエンザの最大のリスクファクターは、患者発生のピーク時に自分が発症すること。余りにも多人数が同時に発症すると病院も相手にしてくれなくなるから。次に危険なのが、人より遅れて発症し、タミフルなどが使い切られてること。だから、なるべく早めに感染する方が、個人的なリスクは低い。そう言っていた。

A君:ところが、最初の患者になると、それが「穢れ」と同じ対応をされてしまう。だから、第一号だけは、とにかく避けたい

B君:それが日本社会の共通マインドだな。とにかく、目立ちたくない。

C先生:西欧社会は全く逆だ。食糧確保のためにバファローなどの危険な猛獣と戦うとき、鮮やかな剣捌きを見せる勇者は英雄としてあがめられる。

A君:目立つ人間が英雄になる。しかも、剣捌きに優れた人を全面に押し出せば、集団の構成員としては、自らのリスクを下げることができる。

B君:日本の場合だと、万一、犠牲者になると英霊になれる慣行があるが、いずれにしても、生きた英雄を作りたがらない社会だ。

日本人のリスク関連の規制への対処法

C先生:もう一つの日本人の特徴が、リスク関連の規制への対処法。とにかく複雑な規制であっても、なんとかしてしまう

A君:それに対して欧州では、どちらかと言えば政治的なメッセージ性が高い規制、すなわち、哲学が分かりやすくて、仕組みが完全に見えるものが選択される。

B君:それはそうだ。理屈・哲学で相手を説得できなければ、最終的な勝利はない。これが欧州のマインド

C先生:日本は、仕組みのもつ哲学性などは余り評価されない。むしろ、細かいところまでの擦り合わせができているかどうかが最重要視される。

A君:化学物質管理にも、欧州と日本の大きな差が見えますね。

EUと日本のリスク管理の枠組み

EUと日本のリスク管理の枠組み
欧州は、哲学的に美しい仕組みを第一に目指す。
日本は、既存のシステムとの細かい擦り合わせを重視する。

B君:EUのレベルでは、そんなに細かい仕組みを作ったところで、全く無視される。すべての国のレベルが揃っているという訳ではないので。

日本人がゼロリスクを好むのは何故か

A君:欧州でも、ゼロリスクの実現が可能だと考えている人は多いようだが、それでも日本ほどではないように思いますね。

B君:色々と原因はあると思うが、日本人がゼロリスクを好むひとつに、政府や自治体など「公」に対する不信感がある。「公」が主導するリスク評価など信じられない。どうせ、誤魔化しがあるだろう

C先生:「政府とは巨大な搾取機構」である、という考えは、アジアに共通のマインドだと思う。その原因の一つは、人口の多さ。ヨーロッパの国々は、北欧などがその典型だが、人口が少ない。そのため、議員がどんな人格の持ち主であるかを個人的にも良く知っている。
 日本の場合には、人口が多いこともあって、個人の人格で議員に選ばれることはない。議員はその地域の代表なだけでなく、利益をその地域に持ってくる人だと理解している選挙民も多い。そのため、これまでの自民党政治の中では、議員はすべからく族議員になることが必要だった。行政に働きかけて、その判断に影響を与えることができる議員が偉い議員だった。

A君:それが「公」の不信を招いたのは事実でしょうね。自らの地域への利益還元を求めていたのは、選挙民なんですが。

B君:それ以外にも、色々と考え方を変えないと、ゼロリスクを求める動きは変わらないだろう。

普及させるべき概念

C先生:環境科学会の発表などでもそうだが、いくつかの課題を挙げている。

  普及させるべき概念
  (1) リスクの安全圏
  (2) リスクのモノサシ
  (3) ヒトのメカニズムに内在するリスク
  (4) 食物(含む:健康食品・サプリメント)というものへの幻想
  (5) 持続可能と継続可能の差異


A君:(1)リスクには安全圏があって、ゼロにならなくても、その中に入れば、まずまず大丈夫、という考え方。

B君:(2)リスクのモノサシも、リスクには大小があって、今問題にしているリスクがどの程度のものかを分かる必要がある。

A君:(3)ヒトのメカニズムに内在するリスクとは、例えば、女性ホルモンが発がん物質であるように、ヒトに限らず全ての生物は、次世代を作ることを優先して作られていて、長生きするように作られている訳ではない。

B君:ヒトの体がちゃんとできるためには、細胞の自殺であるアポトーシスがきちんと起きることが重要だが、活性酸素は、アポトーシスを起こす際に必要不可欠。リンパ球がウイルスに感染した細胞を殺すときに使うのも活性酸素。

(中略)

A君:これが、ヒトのメカニズムに内在している最大のリスクかもしれない、と思いますね。進化と引き替えに受け取ってしまった最大のリスク。

B君:どうも、欧州では受け入れられるが、日本では受け入れがたいタイプのリスクのようにも見える。

C先生:次の(4)食物の話は今回省略。そのうちに。

A君:残りは(5)「持続可能」と「継続可能」の違いですか。

C先生:人類の長期に渡る持続可能性が重大な問題だと認識されてはいるが、ある時点で「人類」を構成しているヒトの個体は、有限の寿命しか持たないのだ。個体の有限の寿命を多少長くしたところで、持続可能性が実現できるわけではない。
 むしろヒトの個体がどのような役割を果たさなければならないか。それを十分に議論しなければならないように思う。

A君:現代世代のヒトの個体に対するリスクだけを考えてゼロリスクを追及したところで、何の意味もない、ということなのでしょう。

B君:要するに、ヒトの個体がいくら長生きしても、単に長生きなだけでは、全く意味がない。

A君:長生きしている間に、何をすべきなのか。

B君:それは、次ぎ世代のヒトの個体に対して、何を残せるのかを考え、実際にそれを作り出すことではないだろうか。

C先生:それは、言葉か他のメディア、絵画とか、工芸品とか、音楽とか、あるいは、映画とか、そのようなものを使うことになる可能性が大きい。いずれにしても、現世代の大脳から次世代の大脳へのメッセージだろう。

*1(本題から外れますが少し関連するので)櫻井よしこさんが原子力船『むつ』の放射能漏れ事故の事を解説しており、興味深い。
●2012/3/22 がれき処理に政府の指導力発揮を

【つぶやき】
 ノンフロン冷蔵庫、レトロトランスポジションについての詳細な記述など、引用を割愛した箇所も多いです。
 化学物質を主題とした論説ですが、放射線と対面している現状でも当てはまる事が多いと感じました。

 “「リスク管理」ということが何を意味するのか”の部分はまさに本質だと思いますが、“安全か危険かの二分法の問題”とか、“相対的にリスクをみるという視点”とか、“「危険論者」は、リスクを比較しようとしない”とか、“リスクは個人によって違う”など、ここに書いていない重要な事も多いかと。最後の“普及させるべき概念”にはそれらが少し抽象的に書いてあるのですが、今回の論説は“リスク観”が本題なので。(リスク管理については、後日、単独のエントリーに纏めたいと思ってます。)

 個人的には、“日本人がゼロリスクを好むのは何故か”の部分は(記載内容自体は“なるほど”ですが) 、第1弾に書かれていた内容、すなわち、
 ・リスクを教えてくれる/リスクから守ってくれるのは『お上』の仕事
 ・日本の教育で、「リスク」について教えられていない
 ・「科学がはっきり正しい答えを出してくれる」という建前
などの方ががしっくりきました。


(個人的メモ)
 面白かったです。
 ●「上野則男のブログ」 2012/5/26 日本人と中国人・アングロサクソン民族の違い

関連エントリーはカテゴリーにひとまとめにしています。記事下部or左欄のカテゴリーリンクから、どうぞ。
[ 2012/04/12(木) ] カテゴリ: リスク認知など一般的な | CM(2)
Re: 確かに!!
確かに!!
鉛フリーの半田については、(引用は割愛していますが)安井先生の本文にも
“製品の超長期安定性などという観点からみれば、無鉛のハンダなどは怖いものがある”
と書いています。これは
>他者の責任にできる事柄
というご指摘は、もっともだと思います(流石です)。当時あまり騒がれなかった?のは、メーカーも目を瞑っておとなしくしていたのでメディアも一般人も気が付かなかったのでしょうか。それとも、高々、電気製品の耐久性など健康被害に比べれば、という判断なのでしょうか、判りませんが。

一方、ノンフロンのスプレー缶の火気厳禁は、“昔に許容していたリスク”をメディアも一般人も現在になって再度受け入れたケースですね。地球環境とのトレードオフを皆が納得してゼロリスクを放棄したのでしょう。まあ、自分が注意すれば防げるリスクとの感覚もあるかと。

ただ、これらの例で思うのは、昔に許容していたリスク”と“存在していたが科学的に評価しなかったリスク”が現在になって、忌避感が大きく違っているのかなと。
後者の典型が核実験フォールアウト時代からの放射線リスク、と思います。
当時は測定データなども政府も出さなかったしメディアも追及しなかったですよね。その一方で原子力船『むつ』のような事があったりして、量の概念なしに“とにかく怖いもの扱い、穢れ的扱い、一辺倒”だった過去が。
(本文でも引用しましたが、原子力船『むつ』のケースは櫻井よしこさんの論説で事実を知った次第)
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2012/03/22/%e3%80%8c%e3%80%80%e3%81%8c%e3%82%8c%e3%81%8d%e5%87%a6%e7%90%86%e3%81%ab%e6%94%bf%e5%ba%9c%e3%81%ae%e6%8c%87%e5%b0%8e%e5%8a%9b%e7%99%ba%e6%8f%ae%e3%82%92%e3%80%80%e3%80%8d/
[ 2012/04/15 12:59 ] [ 編集 ]
別の意味では、0リスクを求める事が多々見られるのは、他者の責任にできる事柄があります。 自己を被害者の位置に置け様に出来ると主張するばあいに。  予防原則が新たなリスクを生んだ身近な例では、半田の鉛フリーがあります。 鉛をフリーにしたことで、他の物質では、半田ワレが頻度で起こる事に、この対策に追われる事になり。 半田の耐久性が・・新たなリスクに。  フロンフリーに成った、スプレー缶は火気厳禁になり、昔のリスクが復活。
[ 2012/04/14 23:35 ] [ 編集 ]
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