ポストさんてん日記

放射線・エネルギー・環境・化学物質・食品などの情報をアーカイブとして整理すると同時に、徒然につぶやいています。 リンクはご自由に。

“放射線ゼロリスクの追及”を止めないと復興・復旧が進まない、皆が幸せに暮せない

[ 2012/01/11 (水) ]
 適宜、追記しています。最新は2012/5/23


 震災から10ヶ月経過しました。復興どころではなく復旧さえも期待したより進んでいない気がします。色々な理由・原因があるのでしょうが、その一つとして“放射線ゼロリスクの追及”を懸念した情報をいくつか、アーカイブさせていただきます。

1.ラジオ福島「大和田新のラヂオ長屋」で紹介された福島県立医大 長谷川有史助教の放射能リスクの考え方~科学と哲学の狭間で~(日本医事新報10月22日号「福島リポート」より)
                   (Kさんから教えていただきました。)
 【全文引用】 (太字はブログ主による。)

 原爆・核実験・チェルノブイリ原発事故に引き続き、不幸にして放射性物質が再び地上に拡散した。多くの福島の住民が放射線に対する不安を抱えている。私自身は、福島で暮らす原発が嫌いな無宗教の救急医だが、震災後から被ばく医療に関わってきた。
 私が所属する「福島県立医大被ばく医療班」は住民に対するリスクコミュニケーションを業務の一つに掲げているが、最近の放射線リスクに対する国民の考え方の中には、福島に暮らす私ですら疑問を感じることがある。

◆放射線にだけ求めるゼロリスク◆

 現在の、福島居住地域の放射線発癌リスクは、他の生活習慣に由来するものより低い。しかし国民の意識の中で放射線リスクに関する尺度が極端に厳しくなり、最終的にゼロリスクにならないと安心できない事態が生じている。放射線リスクを回避する行為の対価として、我々は他の大切なものを失っているのではないだろうか。放射線にだけゼロリスクを求め、それが実現しないために「未来不安」を感じてしまっている。多くの賢人が指摘するように、放射線リスクに関する現状認識改革と意識改革が早急に必要だ。
 放射線から受ける発癌リスクは国立がん研究センターのホームページに分かりすく説明されている。
 警戒区域外で受ける放射線の発癌リスクは、大量飲酒、喫煙より低い。
 放射線防護の観点からは、文科省の放射線審議会基本部会が、住民の人工放射線被ばく線量を年間20~1mSvとし、最終的には年間1mSvに近づける方針を固めた。私の住む地域でも十分に達成可能だと認識している。
 また、首相官邸災害ホームページでは専門家がサイエンス(科学的事実)とポリシー(放射線防護:放射線被ばくは少なければ少ないほど良いという考え方)について明快に説明している。
 では、日本の現在の低線量慢性被ばくは未知の事象なのか。そうではない。福島を除く多くの地域では、1960年代のフォールアウト(1940年代中頃から行われた大気圏内核実験により環境中に放出された人工放射線核種の降下)から受けていた内部被ばくは現在のそれと大差ないことを種々のデータが物語っている。(高度情報科学技術研究機構ホームページ)。その時代に幼少期を過ごした先人達が今日の長寿日本を築いたのだ。

◆ゼロリスクを求めたために失ったもの◆

 我々は「幸福感」を失ってしまった
 自動車を運転し、喫煙し、アルコールを摂取し、塩分過多・高脂肪食の生活を送ることのすべてにリスクが存在している。我々はリスクを受容しながら楽しく生活してきた。しかし、新たに加わった放射線リスクはわずかでも受け入れられないのが現状だ。ゼロリスクという実現不可能なものを求めた先にあるのは、「幸福感」ではなく「不安感」「絶望感」「虚無感」だ。
 我々はまた、日本人の美徳である「相手の身になって考える姿勢」「発言や行動が与える影響に配慮する姿勢」「自ら学び考える姿勢」を失った。「燃やせない」「打ち上げられない」「売れない」「うつす」「載せられない」などの社会性のない無責任な発言や行動がいまだに目の当たりにする。

◆なぜゼロリスクが求められるのか◆

 なぜ放射線にだけゼロリスクが求められるのか。以下の理由が考えられる。

 ○リスクが突然与えられた
 私の住む福島で、原子力災害は降って湧いたような話だった。通常の「徐々に」ないしは「予想された」リスクではなかったために、その妥当性を天秤にかける処理がいまだにできていない。

 ○強制され、回避困難なリスク
 通常のリスクは、選択・回避が可能なことが多い。一方、今回の放射線リスクは強制され回避に努力を要する。

 ○情報氾濫
 初期の専門家の見解に若干の相違がみられたために、リスクを天秤にかけた評価が困難だった。また過去のフォールアウトの事実が広く周知されていなかった。

 ○関係者全員が被災者
 一言でいえばこれに尽きる。今回の震災では皆が損害を被った。

◆科学はゼロリスクを証明しない◆

 当初は科学的事実が国民の不安を解消してくれると考えていた。しかし、どうやら現状は科学的事実だけでは解決できない事態のようだ。わずかであってもリスクが存在すれば不安の原因となってしまう。人によっては、とても苦しくつらい感覚を強いられるだろう。
 科学はゼロリスクを証明してはくれない。科学は「リスクが絶対にないとは言えないよ」としか答えてくれない。科学だけでは国民の不安を解消して、「幸福な生活」「日本人の美徳」を回復することは困難かもしれない。

◆どうすれば皆が幸せに暮らせるのか◆

 不安感の原因の一つが「ゼロリスクが実現しないこと」だと仮定すれば、どこかで「放射線ゼロリスクの追及」を止めないと国民の不安を解消することはできない。放射線リスクに対する考え方を改めないと、風評被害や差別は続き、「幸福な生活」「日本人の美徳」回復の妨げになる
 国民は今一度根源的な問いに立ち返る必要があるのではないか?「生きる目的は何か」「何を重要視するのか」「子供たちに何を残したいのか」。それは「子孫に責任感や倫理観を伝えつつ健康や安全な環境を残す」ことなのか、「自分だけが幸せになる」ことなのか。
 こうした問いかけの中で、叶わぬ「ゼロリスクの追求」を止めて、リスクと共に「幸福な生活」を清く生きることに目標転換できた時に、国民の不安が少しは解消されるのではないか?
 救急医には最も似つかわしくない哲学的な話になったが、今はただ、「どうすれば皆が幸せに暮らせるのか」を福島に暮らす一医師として真剣に考えている。
 「国民(福島住民)の放射線リスクに対する考え方」を論ずることは、一医師には荷が重いが避けて通れない問題だ。我々だけでは解決できないと考え、広く意見を伺いたく問うた。



 【(恐縮ですが)該当部分のみ引用】  (太字はブログ主による。)

 一例だが、日本政府の放射能セシウムの規制値まで汚染された肉を食べて、CTスキャン1回分の被曝をするには、およそ4ヶ月の間に1トンの肉を食べなくてはならない。仮に食べても放射線による健康被害の可能性は少ない。ばからしい規制だ*
こうしたことがたくさんあり、社会全体、そして福島に負担を加えている

 また一部の人々は、恐怖にかられ、社会に混乱をさせなかっただろうか。不安を抱くのは当然であり、特に子供を守ろうとする親の苦悩は重いものとして受け止める。しかし多くの場合は杞憂だ。不安の表明以上に、ありえない健康被害の恐怖を過度に騒ぎ続ける人が今でも散見される。恐怖の拡散は社会的コストになるだけではなく、自分と家族、子供も不幸にするだけだろう。騒いでも問題は何も解決しない

 私の低線量被曝をめぐる主張は簡単に要約できる。「ばかばかしい行動はやめて社会を平常に戻そう」というものだ。

 この主張は今の日本では残念ながら少数派だし、政策課題で検討されることはないだろう。私の力も乏しい。しかし微力だが訴え続けたい。そして読まれた方は、現状では健康被害の可能性は極めて少ないという事実と、進行する社会の混乱を見比べて、「この騒ぎは何の意味があるのか」と問い直してほしい。

* (ブログ主注)内部被ばくと外部被ばくを比較するこの部分には賛同できませんが、細部にこだわるのではなく全体を読み取りました。


 【(恐縮ですが)該当部分のみ引用】  (太字はブログ主による。)

 ■本を読み終えて

 実際に食の不安にしたって、テレビや新聞を賑わしているけど、それほど気にしていない人の方が実は多いのでは?と、どらねこは考えたりもしますよ。少なくともどらねこの周辺にはあまりいないです。関心があって理解していて安心しているのではなくて、そもそもさほど関心がない人もいるんですね。でも、そんな人ってそもそも意見を発信したりしないから目立たないと思います。あと、ちょっと気になっている人でも極端な意見の人にただ引っ張られているだけだったりするのかもしれません

 この本を読んでからいろいろ考えたのですが、今のどらねこは読む以前と比べてさらに楽観的になったのでした。細かなリスクそれぞれを気にしすぎるよりものんびりと暮らすメリットも感じたんですね。これって多くの人はそれでいいと思うんですよ。あまりに多くの方が気にしすぎて必要以上に問題があると訴えるのって全体のコストも嵩むはずです。結果的には気にしないでのんびり構えていられる人が不安に駆られている人を支えているような気もするんですよね。災害後の復興を考えれば平常心で今まで通りに暮らす事の大切さってあると思うんですよ。

 普段はのんびりと構えていて、あまりに酷い情報がとびだしてきた時には断固として対応していくぐらいがよいと思うのです。本当にまずい方向に向かいそうになったときに修正をかけられるか否か、これを外すと悪い方向に向かってしまうと思いますから。のんびり構えている人が安心してのんびりできるように、気になる人はキチンと勉強していただいて、不適切な対応には声をあげてくれるような状況が良いんじゃないかな?みんな同じように心配をしなければならない、なんて事はないのですから。

 どらねこは平和ボケってコトバは嫌いじゃないんです。それよりも過剰な不安や敵対を煽る言説の方がよっぽど危険だと思うんですね。



 【(本当に恐縮ですが)該当部分のみ引用】  (太字はブログ主による。)

 一昨日、昨日と、私は福島県にいて、農業者の話を聞いた。新基準値案の影響はもう、いろいろなところに出始めているようだ。
 何人もの人が言ったのは、「500から100下げても、気にする人は安心しない。500から100にしたのなら、次はゼロだ、となるはず」というものだ。実際に、大手食品メーカーに「もう、福島のコメは使えない」と言われ、今年の契約を切られるかも、という生産者が出て来ている。
 昨年は、原発事故直後だったが契約は切られなかった。今年の方が放射性セシウムの量は少ないと予想されるのに、「使えない」と言われる。ゼロ志向の消費者に商品を測定されて、小さな数字であっても検出され騒がれるリスクを、大手食品メーカーは考慮に入れざるを得ない。「福島切り」がはじまっている。

(ブログ主注)“ゼロリスク”の副作用の恐ろしさの一例です。止めなければならないのは一人ひとりの“放射線ゼロリスクの追及”だと思います。


 【ごく一部のみ引用】   (太字はブログ主による。)

(前略)
 しかしこの考え方は、自らが住む場所の安全性が相対的なものでしかない事実を十分に認識しておらず、いわば「福島産の放射能が危険」といった「ケガレ」の発想に近い立場という意味で“放射能幻想”と呼ばれても仕方がない。

 放射能はさしあたり人の身体は破壊していないが、“放射能幻想”は人の心を確実に破壊しているということ。
(中略)
 この状況下で立場は二つに分断される。「危険であるという根拠がないのでさしあたり安全」とする立場と、「安全であるという根拠がないので危険」とする立場。事故直後には後者に傾いた私自身も、最近では前者に近い立場だ。不確実な未来予測に基づいて当事者を批判する権利は私にはないと気づいたからだ。
(中略)
 先にも述べたとおり、低線量被ばくによる影響については、確実なことはほとんど分かっていない。こうした「非知」に耐えられない人々の中には都市伝説や代替医療に向かうものも出てくるだろう。さらにここに政治的な問題が加味されることで、知識はさらに硬直化する。
(中略)
ベックは「リスクによる連帯」を提唱するが、いま起きつつあることはむしろ「リスクによる分断」ではないだろうか。この分断の要因としては、リスクそのものを生産している政府や東京電力以上に、リスクへの態度が異なる人々への攻撃性のほうが先鋭化してしまうという、いわば「隣組」的な心性があるように思われる。しかし、その「分断」が誰を利することになるかは言うまでもないだろう

 参考までに、記事のなかに出てくる坪倉正治医師のお話はこちらのエントリーです。

6.「農と島のありんくりん」1/29 日本農学会の放射能被害についての見解

 【一部のみ引用】  (太字はブログ主による。)

「放射能汚染を受けた地域の農業関係者に共通するのは、風評被害に対する恐怖である。それが、極端にいえば、「村に一切の放射能がない状態への復元」という実現不可能な除染を望む声を生み、結果的に除染が一向にすすまない状況を生んでいる場合さえある。」

「消費者が、事故発生時点の「何が起こったか分からない」という状況で、事故地周辺の農産物を避けたのは正当なリスク回避の一つであったともいえよう。
 しかし、現在、放射性物質による汚染がほぼ正確に理解され、出荷、流通段階での検査等で安全性が確認された状況で、同じことをするのは公正な市場を損ねることになりかねない。」

「残念ながら、ときに、他地域の地方自治体と住民までが「風評加害者」となり、放射能汚染は、差別のような日本人の心の汚染にまで広がっているという指摘さえある。」


【追記】


つぶやき

●政府や行政の対応力不足、それらに対する不安・不満・不信の影響で、ついつい、個別の課題とか施策にとらわれてしまいがちですが、現状の全体を冷静に見れば、おっしゃる通りのところに、重要なポイントがあると大変共感しました。

●震災や原発による直接被害は巨大なものですが、「放射線ゼロリスクの追及」で生じる偏見や恐怖が、福島や日本の社会全体に与えているダメージ、復興・復旧を遅らせている原因になっている事に目を開き、嫌悪感や忌避感を広めようとするのは止め、「幸福な生活」「日本人の美徳」の回復に向かいたい、ということですね。

●少なくとも、
 「放射線のリスクはあるけれど、他のリスクも考慮すると、福島での生活を続ける方がトータルのリスクは少ない」として、障害を乗り越えながら生活を送ってきて、やっと普通に近い生活をされている方々*への情報暴力となるグレー情報・流言・デマなどを広める事は止めてほしい、
“放射線が怖い”を理由に岩手・宮城の瓦礫(がれき)の広域処理に反対して復旧の邪魔をする事は止めてほしい、
ですね。


* 次の論説はかなりの長文ですが、素晴らしいです。 「SYNODOS JOURNAL」2012/2/3 ●原発震災に対する支援とは何か―福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理 猪飼周平 一橋大准教授

●それをしているのは、どのような人でしょうか? (素人の乱暴な想像ということで)

A.学者・研究者
01.英雄願望が強い方、スポットライト症候群の方。
02.作用と副作用、メリットとデメリットと言う広い視野がなく、ひたすら狭い視野での善意や正義感で発信で発信している方
03.科学より主義・主張の方
04.自分の糧を多く得たいのが主目的(著書、出演、講演など)の方

B.自称専門家,ジャーナリスト,活動家,評論家、などAとC以外の人達
1.放射線恐怖症を広げることで反原発をしている人達・組織。
2.自分の糧を多く得たいがために発信している人達。(売れれば、視聴率さえ上がれば、というメディア関係にも多い)
3.科学より主義・主張が先で、自分の主義・主張を通すためならどんな手段でも使えると勘違いしている人達。
4.放射能ビジネスに携わる人達
5.間違った倫理観と使命感を振りかざし、作用と副作用、メリットとデメリットと言う広い視野がなく、自分に都合のよい情報だけを発信する人達。
6.単なる勉強不足で科学的な間違いに気が付かない人達。(可能性がゼロでない事を隠れ蓑にして恣意的に詭弁・煽りを発信したり、定量情報に恣意的に目を瞑り定性情報のみ発信する事もある様だが、)
7.原発事故前の環境や被ばく量に戻りたいという“感情”に合う学者・研究者の発信だけを広めようとしている人達。

【追記】AとBの人達の背景についての論説です。●開米瑞浩氏の原子力論考のコミュニティ・シリーズ全10編のリンク集

C.一般の方々
11.自分の世界には、“例えどんなに小さくても新たな放射線リスクは追加されたくない”という意識が極めて強い方々。放射線リスクの概念がなくて、安全か危険かの二元論しかなく、“安全でなければ全て危険”と判断している方々(子供にだけは、という意識を含めて)。これらの方々は自然放射線や核実験の残存放射線に対して無認識や間違った知識を持っている事が多い。
12.(例えば自主避難のような)過去の行動の正当性を過剰に高めたいと思っている方々。仲間を増やすことだけしか考えていない方々。
13.“東電憎し”以外の見方がない方々。
14.“政府や行政が言う事は嘘・裏に陰謀がある”として他の方が騙されていると思いこんで我慢できない、あるいは、他の方が騙されないように何がしかの影響を与えたいという方々。
15.作用と副作用、メリットとデメリットと言う広い視野がなく、ひたすら狭い視野での善意や正義感で発信している方々。
16.リスクの大小、可能性が多い少ないというモノサシがなく、可能性が少しでもあれば等しく危険と見做している方々。すなわち可能性がゼロでない事を隠れ蓑にした詭弁・煽りを是としている方々。(11項と似ているが反原発の声高な主張者に多い気がする。)
17.原発事故前の環境や被ばく量に戻りたいという“感情”が判断の主軸となっている方々。(その“感情”に合う情報だけについては結構勉強している方も多い様だが、)
(11~は人の類型より、意識の類型と言った方が良いかも知れません)

●現状は、A.B.の人達がC.の人達を煽っていたり、C.の人達が積極的にA.B.の人達を活用したりして、事態は複雑です。

●一方で、多くの静かな方々は、意識・無意識のうちに“放射線ゼロリスク追及”など考えていないのでは?(ここはかなり勝手な想像です)。
 上記の人達が“煽り系”、“脅かし系”の情報を発信するのは、このグループをターゲットとしているのでしょうが、その結果が復興・復旧の遅延になり、「幸福な生活」「日本人の美徳」を失わせているのではないでしょうか?

(他の方の発信に触発されて、素人が偉そうな事を書いてしまいました。) 

(念のため申し添えますが)
●長谷川先生の説明にある1960年代のフォールアウトの事実や、さらに、カリウム40やラドンなどの自然放射線のことを理解すれば、放射線にゼロリスクを求めること自体に大きな矛盾があると解釈しますが、食品の選択のように、個人とその家庭内に責任と権限が及ぶ範囲では自由な選択*をして、静かに行動して頂ければ良いと思います。

 * この部分は以下の安斎育郎 立命館大名誉教授の考えの受け売りでもあるのですが、ブログ主も同じ考えです。

 (既エントリーより引用)

 「たとえとるに足りない被曝でも私はイヤ」というのもひとつの考え方であって、排斥する理由はなにもありません。もちろん、人工放射能に起因する被曝も自然放射能に起因する被曝も、線量が同じなら受ける影響は同じだと考えられますから、人工放射能を含む食品Aを避けて別の食品Bを選んだら、Bは比較的高い濃度の自然放射能を含んでいて、結果として被曝線量に差がなかったり、かえってふえたりすることもあるわけですが、そこをどう考えるかは、当該消費者の考え方次第です。
 食品を選ぶごとに被曝線量の計算ずくで行動するわけではないでしょうから、人工放射能は忌避したいというその人の生きざまの問題と言えなくもありません。もちろん、「そのような消費行動は、恐れなくてもいいものを恐れている非理性的な行動だ」と批判することはできますし、そのような批判の自由も保障されなければなりません。
 「非理性的なものを信じる自由」も、認められるべきでしょう。
 私は『霊はあるか』(講談社)という本を書き、「霊は、科学的な意味では存在しない」ことを徹底的に論じました。しかし、「科学的には存在しないもの」でも、それを信じる自由はあります。神の実在が科学的に証明されようがされまいが、神を信じる自由はあります。そして、「ありもしない霊を恐れるのは非理性的だ」と批判する自由もあります。
 だから、放射能にえもいえわれぬ恐怖感、不快感を抱く人が、その汚染レベルの高い低いにかかわらず拒否するという消費行動をとることも自由でしょう。同時に、「自然放射線の何十分の一も低い放射能を恐れるのは理性的ではない」と批判する自由も保障されるべきでしょう。
 このような緊張関係こそが、社会が一つの立場に押し流されて崖っぷちに突き進んでいく危険を回避する大切な力だと思います。



(以下は個人的メモです)
「FOOCOM.NET」3/8 被災地食品を「買う」?「買わない」? アンケート調査の結果から
 【結論部分のみ引用】

 消費者の不安という冒頭の言葉にもどってみると、不安をもつ人はたしかに多いといえます。もともと事故前の「平常時」でも、こと食品の安全性に関しては意識が高く、農薬や添加物に関するアンケートでも不安だという人が7~8割になることもあります。ただし、不安の感じ方は人それぞれであり、特に、今回の放射性物質の場合、地域や家族構成などの要因によっても傾向が異なる状況が見られました。
 世論調査では、家族や地域などとのつながりを大切にする姿勢が見られます。多くの消費者は、この状況の中で、自分なりの判断で食品を選んだり、あるいは被災地を応援したりしているのではないでしょうか。不安がるのも消費者、買って応援するのも消費者。消費者を一面的にとらえてはいけない。自戒をこめて、つくづくそう思いました。


[ 2012/01/11(水) ] カテゴリ: ゼロリスク,デマ,風評,不信専門家 | CM(8)
コメント移動了解です
最近色々と思い詰めることが多く、ブログ記事もなかなか書けなかったのですが、科学者の責任に関しては逃れられないだろう・・とこれまた思い詰めた気持ちを記事にしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65423403.html

私の父も叔父も祖父も科学者なのですが、彼らの時代は研究者は気楽で良かったな・・と思います。
父も叔父もお気楽なままで、今はデマに振り回され(物理系なので知識が無い)、「東大の先生が国会で泣いて訴えたのだからセシウムは危険に決まっている」と言っています。
中川惠一先生など、泣かない東大の先生もいるのですけどね。
[ 2012/01/29 02:51 ] [ 編集 ]
Re: デマとドグマ
bloomさん、コメントありがとうございます。
添付の2つの記事も、読み応えがありました。

ドグマの問題との考察、まさに的を得ているような気がします。原発事故がなくてもドグマチック(変な用語!“ドグマ”自体、ほとんど使った事のない言葉なので)な世相だったところに、原発事故が発端となって・・・みたいなイメージを勝手に持ちました。

bloomさんの原発・エネルギー記事は、初めて読んだのですが、まるで自分の考えを綺麗にまとめて戴いたような気がしました。失礼な感想ですね。お許しください。
[ 2012/01/28 23:58 ] [ 編集 ]
デマとドグマ
(他の記事へのコメントですが、管理者の判断で、より好ましいこちらの記事にコピーします)

私も放射能デマには疲れ切っていますが、以下の記事を読んでドグマという問題もあるのかな・・と思いました。

http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20120125-01.html

「原発は100%安全でなくてはならない」という強迫観念が必要な対策をおろそかにした要因であるという意見は良くでますよね。

「原発は危険なので、瓦礫も危険なはずだ、福島の人々に健康被害が出るはずだ」という反原発思想から出る思い込みも、多くの人を傷つけていると思います。

新型(豚)インフルエンザでも原発でも、人々の話題に上る時はとても危険なように見えますが、本当のリスクは数字通りでしかないし、その数字より感情に従うとよりリスクが高まります。

また、全ての科学技術は危険で、使うべきものと捨てるべきものは簡単に分けることができません。
http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/64752518.html
[ 2012/01/28 23:53 ] [ 編集 ]
Re: Re: (スイマセンが補足です)
下記の最終段落中の本文は、今回の本文です。
[ 2012/01/20 11:33 ] [ 編集 ]
Re: 英雄願望を含めた心の病
bloomさん
コメントありがとうございます。

>こちらのブログ記事が充実していて、少し元気が出ました。
こんな風に書いて頂き身に余ることです。この路線を続けるエネルギーになりました。
なお、田崎先生の解説は、エントリーにしようと準備中です。

学者・研究者の英雄願望のお話、同じフィールドのbloomさんのご指摘に、猛烈に“なるほど”です。
実は、学者・研究者については別エントリー*1に書いていたので、今回の「つぶやき」ではチョット意識の外にありました。現実には最大の副作用発生源ですね。
*1 http://icchou20.blog94.fc2.com/blog-entry-179.html

私の考えの整理の為もあり、本文に追記しました。(あまり真剣に考えてもしょうがないのでホドホドに)
今後とも、よろしくお願いします。
[ 2012/01/20 08:41 ] [ 編集 ]
英雄願望を含めた心の病
こちらのブログでは色々と有益な情報を戴き、有り難うございます。

「正義の科学者という幻想」というシリーズ記事を書いたことがありますが、私が当時取り上げた小出先生・小佐古先生・児玉先生に関しては「ひたすら狭い視野での善意や正義感で発信している方々」に該当すると考えています。
http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65019985.html

小出先生は反原発の教祖になったために思考停止(そうしないと信者に担いでもらえない)、小佐古先生は生物学的な知識が無いのに周囲が騒いでいるうちに自分が正義に思えてきて泣いちゃった人、児玉先生は大学教授にありがちな「自分のことを”良い人”と思い込んでいる人」ではないかと考えています。

大学教員は「英雄願望」の強い人が多いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/64989056.html

理論が破綻してまで英雄になりたがったのが武田先生、とにかく自分に注目して欲しい心の病が早川先生・・と思っています。
最近は2人とも主張を変えてきたので、彼らを「正義の科学者」と持ち上げた方はご愁傷様です。

インフルエンザ騒動では研究費狙い&マスコミ受けが多かったですが、今回は研究費で得をするのは児玉先生くらいですね(複合リスクのプロジェクトを持っているので)。
http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/64633195.html

でも「有名な教授達が言うより健康被害は小さいと予測している」と発言していた私は研究者仲間や実の親に「安全デマ」「責任取れるのか」「政府に騙されている」「アイソトープセンターのセンター長の方が正しいに決まっている」「勉強が足りない」「冷たい人間」などと叩かれてくたびれました(彼らよりは勉強しているのですが)。
ネットで叩かれるのは慣れているんですが、リアルな人間関係は共同研究が出来なくなる実害もあるので、結構辛いです。
東大の児玉先生が表だって批判されないのは、そういう背景かも。

でも私がくたびれている間(朝日新聞の取材の負荷が大きかった・・というのもあるのですが)、こちらのブログ記事が充実していて、少し元気が出ました。

生物学的に考えると、福島の放射線量でさえタバコよりは劇的にリスクは低く、日々の飲酒(大量飲酒ではなく)や排ガスが漂う都会で暮らすよりもリスクが小さいのではないかと私は考えています。

もちろん地下水や農水産物の監視(特に生物濃縮の調査)は必要ですが、的を絞った対策が復旧には必要だと考えています。
[ 2012/01/19 22:25 ] [ 編集 ]
Re: 01/18 12:05の内緒さんへ
(誤記を修正して、再投稿しました)
 コメントありがとうございます。
 さし障りのない以下の部分についてだけオープンにさせて頂いて、コメントします。
 返しコメントというより、自分の考えの整理の独り言に近いのですが・・・

> 1~4の人たちと11以下の方で、悪意と善意にわけるような感じでしょうか?(またちょっと違うかな?)
> 反原発も、組織的悪意ある人たちと、純粋に原発をなくそうという人たちをわけないとならないのと似ていますか?

 “悪意”と“善意”については、あまり意識しないで書いたのですが、指摘されて1~4は明らかに“悪意”の存在を意識してますね。11以降は、“悪意”か“善意”かという概念は少ないです。

 じゃあ、これらの方々を特徴づける何があるのか?と改めて読み直して、当てはまりそうな対比概念として思いつくままにあげると、
“弱い心”と“強い心”、 “視野が狭い”と“視野が広い”、 “活動的”“と内省的”(対義語になっていない?)、“思い込みが強い”と“常に疑問譜を持つ”、“信じやすい”と“常に疑問譜を持つ”、“のめり込みタイプ”と“冷静タイプ”、
などが思い浮かびます。

 しかし、それらよりも、『科学が公式な結論を出せていない低線量被ばくの影響問題』というのが一番大きなファクターで、これに対して、
少しでも正しい判断を持つ為に、どれだけ広く情報を集めるか(情報量が多ければ正しい結論に近くなるという仮定ですが、そんなに単純でもないような)、
一度決めた結論に対して自主的にそれを覆す姿勢を持てるかどうか(自分でも、結論を出したら反論はもう見ない、耳をあまり傾けない、のですが)、
などがポイントのような気がします。
 結局、現実は、ある段階で自分なりに出した結論がどっちサイドなのかが全てを決するような気がします。
 明らかに、科学的知識不足による恐怖感と言える部分もあると解釈していますが。

 何だか訳のわからん文章になってしまいました。社会心理学の専門家に任せるべきかな。

 なお、反原発については、これとは別のものと思っています。(それを書くと長くなるので略)
[ 2012/01/19 12:40 ] [ 編集 ]
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[ 2012/01/18 12:05 ] [ 編集 ]
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