ポストさんてん日記

放射線・エネルギー・環境・化学物質・食品などの情報をアーカイブとして整理すると同時に、徒然につぶやいています。 リンクはご自由に。

【風評被害02】関谷直也准教授の解説(前篇)

[ 2011/10/15 (土) ]
 【風評被害01】に続き、関谷准教授の著作で勉強しました。(少し間が空いてしまいましたが)

 関谷准教授は、7/25の日経ビジネスオンラインで次のように述べている。(一部のみ引用)
 関谷 直也(せきや・なおや)
 東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科准教授。1975年新潟生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒。東京大学大学院人文社会系研究科社会情報学専門分野博士単位取得退学。東京大学大学院情報学環助手などを経て現職。内閣官房参事。2007年日本災害情報学会学術貢献分野・廣井賞受賞。09年日本広報学会賞優秀研究奨励賞、日本広告学会賞学術部門賞受賞。専門は災害情報・環境情報の社会心理、安全社会論。著書に『環境広告の心理と戦略』(同友館)

――なるほど、放射性物質が「ある」状態は考えられていなかった。
関谷 そうです。今回の事故のように、各地で放射線量が検知されるような状況や、「基準値以下の放射性物質を検出」といった場合は想定してなかったんです。

――ということは、これまでとは異なった位相の風評被害が生じていると。
関谷 東海村でJCOの臨界事故が起こったときは、政府は「ほとんど放射性物質は検出されていないから安全ですよ」と訴えていました。所沢のダイオキシン問題のときも、数値のことはほとんど議論されずに、テレビ朝日の報道の問題や、消費者が買わないというのが問題だという議論がされていたんですよね。BSEのときだってそうです。

――以前は「ないはずのものがある」という、イメージとしての恐怖だったけれども、いまは「どれくらいあるのか」という、数字を伴ったリアルなものとなっている。
関谷 数字の問題として今日は何マイクロシーベルトです、あそこは何マイクロシーベルトですみたいな議論をしなくてはいけなくなりました。風評被害というのは安全であるというのを前提にしていたので、許容値をどう考えるかという議論は、そもそも風評被害の範疇ではないと、これまで私は思っていたんですよ。

――それが今回は?
関谷 許容量以下なので安全である、だから風評被害だという人もいれば、いや、暫定基準値以下でも安全ではないのだから風評被害ではない、という人もいる。風評被害をめぐって議論が錯綜しているというよりも、安全に対する基準値の議論そのものが揺れているということだと思います。

――風評かどうかより、許容値を議論する段階に突入したんですね。
関谷 そこの認識がまだ足りないのでしょう。福島では、日々の数値がリアルなものとなっています。しかし、福島以外の人たちは、いまだにかつてのようにイメージとしての恐怖に振り回されている。だから、漠然とした不安につきまとわれているのではないでしょうか。今後は否応なしに放射線と付き合っていかなくてはなりません。そこで重要なのはやはり、正確で詳細な一次データの共有であり、客観的な数値にもとづいたリスクの判断、利便性と比較しての「リスク許容量」の社会的合意、ということになるかと思います。

 この様な以前との違いを踏まえた上でも、関谷准教授の “従来の風評被害”に対する著作は、大変勉強になった。
 以下の出典は、関谷直也のホームページ、著書「風評被害 そのメカニズムを考える」などです。つたない要約ですので、詳細は原文をご覧ください。

 “→以降”の茶色部分は、ブログ主のつぶやきです。

1.風評被害の定義

(1) 定義
 ある社会問題(事件・事故・環境汚染・災害・不況)が報道されることによって、本来“安全”とされるもの(食品・商品・土地・企業)を人々が危険視し、消費、観光、取引をやめることなどによって引き起こされる経済的被害のこと。
 絶対的な“安全”を求める心理と圧倒的な報道量を原因とする消費行動に伴う経済的被害を指す。
(注意)
 “安全”という言葉の意味は、言及する人が“安全”と考える、もしくは「誰かによって“安全”と判断されている」と考える、ということを指しており、主観的な問題が含まれる。

(2) 少し、噛み砕いた説明
a) 安全が関わる社会問題(事件・事故・環境汚染・災害・不況)が大々的に報道されることによって、
   原因:うわさではない。実際に起こった大変な問題の報道が原因
b) 本来“安全”とされる食品・商品・土地を
   立場:誰かが“安全”と判断している
c) 人々が危険視し、
   プロセス:人々の心理、観光業者・市場関係者の心理
d) 消費や観光をやめることによって引き起こされる経済的被害
   食品関係の被害、人の移動に関する業種(旅行・観光産業)の被害

2.風評被害の構成要素

(1) 経済的被害
 主に食品関係(農業・漁業・特産土産物・食品加工業)、人の移動に関する業種(旅行・観光産業)が被る経済的被害
(2) 事故・事件・環境汚染・災害の存在、もしくは関連する報道の存在
 安全かどうか(汚染量が微量かどうか、人体への影響があるかどうか)という点は別にして、“環境汚染の存在”は事実
→まさに、今回の放射線問題も日本全体レベルではそうですね。

(3) 大量の報道量

 風評被害という語が定着してきたのは、1996年O-157問題、1997 年ナホトカ号重油流出事故、1999 年所沢ダイオキシン報道、JCO 臨界事故である。これらは圧倒的な事件・事故の報道量があった。
(4) 本来“安全”とされる食品・商品・土地の経済的被害
 経済的被害を受けた食品・土地・商品が「事実上汚染があった」「安全でない」とされる場合は、「事実上の被害(公害、環境汚染)」であり、風評被害ではない。
 たとえば所沢ダイオキシン報道における所沢産野菜は安全だという立場をとった場合「風評被害」になり、危険だという立場をとった場合「風評被害ではない(事実上の汚染)」と言明される。

3.風評被害において被害を受けた食品・土地・商品が“安全”と判断されるパターン

(1) 食品・土地・商品が科学的確率的に危険性がほぼない(低い)
 ある立場の人(たとえば政府・自治体・関連企業・科学者)によって、ある食品・商品・土地に関して人体に影響がないとされるけれども、安全宣言が信用されない情報が少ない安全性が理解されないなどの理由から、安全性認知に関する不確定要素が残っている。
 一般住民にとって、安全か危険かについて理解し難い、直接観察できないことがら(原子力、ダイオキシン、環境中の水銀、0-157 など病原菌、噴火の可能性)の事故・汚染・災害に関して、風評被害が多く生じている。
→まさに、今回の放射線問題全体も、そうですね。
→個別例として(cache) 河北新報ニュース 原発風評 土湯温泉ピンチ 一般客激減 5軒が廃業 福島
→(海外関係では)観光を含めた日本ブランドの風評被害

(2)食品・商品・土地の“安全”がそもそも問題とされていない
 報道の対象ともなっていない、汚染が全く考えられてない“近隣の土地”“関連する食品・商品”まで汎化して忌避。
 自らの関与が低い、遠い土地に対する地理的な無理解や危険性に関する無理解が原因。
大文字の送り火愛知県日進市の花火大阪府河内長野市の橋桁もこれだ。いずれも、単なる“不安”が行政のマズイ対応で風評被害に発展したものだ。
→風評被害にならずに収束したが8月中旬の「福島県内で製造された生理用品から高放射能」もこの類だ。「サーベイメータで測定したら高かった」とtwitterで情報を出した人がおり、「私も測定してみた」「そういえば、かぶれた」などと大騒ぎ。しかし、発信源らしき人が公開していた測定写真を見た専門家が「使い方間違っているよ」と指摘し、騒ぎは一気に収束。もともと、高いとされた数値もごく低く誤差の範囲のもの。


(3) 特に観光被害において、危険性の有無というよりも、その観光地が被災地であることを考え、自粛・遠慮で観光地を訪れないことが風評被害とされる場合
 その観光地が本来“安全”とされていることが前提条件であるが、その観光地を避ける人も“安全”であることを了解している点で他と異なる。
→(1)に記載の土湯温泉はこちらかも?

4.風評被害が起こる条件(冒頭と同じ7/25の日経ビジネスオンラインから引用)

●第一にメディア
 現代は情報があふれ、誰もがメディアの影響を受けざるを得ない「情報過多社会」です。
 また、今回の場合、行政のコミュニケーションとして「ただちに健康に影響はない」という言い方はかなりまずいです。風評被害が問題になっているときには、細かいデータ・数値を徹底的に示していくべきだと思います。
●第二に「安全社会」であること。
 人々が「安全である」ことを無条件で前提としているために、危険だとされたものへの忌避意識が強く働きます。こうした環境下では「この食品は危険だ」「この土地は危ない」という情報が加速度的に広がります。
 日本の場合、過剰なほどというか、ただ「安全」といわれてもそれだけでは納得せずに、自分が安心と納得するまで、どこまでも安全、安心を追求していくということころがありますね。
 去年10カ国の人たちにアンケート調査をしたんですけれども、何にでもまず不安を持つ、というのは、日本人と、それから英国人でした。特にありとあらゆるものに不安を感じるというのは、日本人の特徴だと思います。次に近いのが、韓国です。BSEが問題になったのはこの3カ国でしたし、「食の安全」への不安が高い国は上から、日本、イギリス、韓国でした。
 一方で、南米のチリや、ヨーロッパというのは全般的に不安を感じない傾向がある。リスクの対象によって違いはもちろんありますが、過去のほかの研究も含めて、やはり国によりリスクの捉え方の差というのは実際にあることが実証されていますが、中でも日本は不安を強く感じる傾向があるというのは事実だと思います。
●第三に「高度流通社会」であること。
 流通が発達すると、商品の選択肢が増えるわけですから、たいていのモノは代替品が手に入る。売る側も「同じことなら安心な方が売れるだろう」と判断します。結果、実際には汚染がなくとも危険だと感じられた食品などが売れなくなり、経済的な被害が発生するわけですね。
●消費者側のリテラシーが高まっても解決しない
 科学的に安全が保証されているケースについては、みなが科学的、合理的に判断し行動すれば、風評被害は防ぎ得る。けれども、いきなり今回のような事故が起こって、急にシーベルトだ、ベクレルだと言われても、やはりそれを多くの人が理解することは難しい。「リテラシーを高めれば」そうした混乱も解消されるのかもしれませんが、そんなことはわざわざ言うまでもない、当たり前のことなので、簡単に「リテラシーがあればいい」という話ではないと私は思っています。それに、そもそも、低線量被曝に関しては専門家の間でも、安全基準に対して議論がゆれています。だから「リテラシーが高まったら解決」とはいえない。

後編に続く

関連エントリー(新しい順)

●【追伸】風評被害の概念から外れる食品放射線汚染問題をどう考えるか?
●【風評被害03】関谷直也准教授の解説(後編) ←後編です
●【風評被害02】関谷直也准教授の解説(前篇) ←本エントリーです
●【風評被害01】科学的根拠で判断を 原発の風評被害
[ 2011/10/15(土) ] カテゴリ: デマ風評ゼロリスク不信専門家 | CM(0)
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